自然と共に
地球と共に
宇宙と共に
北海道の真ん中、大自然の聖地 富良野
から始まる新しい地球の未来
自然から学ぼう
自然に生かされ
自然から様々なことを
教えてもらいながら自然と共に生きる
未知との遭遇
ブログコーナー
<日天意神示について(2)>
日天意神示について(1)で述べた、太陽を創造し、地球を創造しという事ですが、話が大きすぎますか? 宇宙では目に見える星アークトゥルス星は太陽の大きさの26倍あるといいます。 太陽の113倍の明るさを持つといいます。 どれほど巨大なのか想像もつきません。 この宇宙には天の川銀河が数兆個あり、天の川銀河にある星の数も数兆個といいます。 しかも、多重次元の宇宙としたらもう無限に存在する星の数の中の地球という小さな星の中の人間一人の価値とは細菌や原子核よりもさらに小さい物質的存在であります。 そして五感という限られた性能の知覚でしか物事を感知できないのですから、耳や、嗅覚は犬にも劣ります。 その知覚や感覚と火花のような瞬間の時間軸の経験をもとに判断する正しさの基準で争うとか排斥するって、どれほど愚かなことなのか、未熟で幼く原始的なのかがわかろうというもの。ですから、より高次元の宇宙の先輩たち、遥かなる無限次元の経験を積んだ宇宙人の中で地球人類に好意的な存在達、人類を造った者達に教えを乞う事や、教えに従う事によって多くの事を学び、実践することに多くのことに気が付くのだと思います。 元々はといえば、人間の体はたかだか100年の命ですから魂は何万年も何十万年も様々な星で修行を積んでいるのですから、もともと知っていることを思い出すという作業になります。 この宇宙の全ては神一元の世界とすれば神以外は何も存在していないのですから、人も神の一部分という事になります。 その大宇宙の英知、神の英知や体験経験を知るには自分から求めなくてはなりません。 その魂の成長の度合いによってどこまで知ること気付くことが許されているのかという事になります。 ですから、我等人類はもともとの自分とは?を知らねばならず、そこに基づいて気付きの階段を上っていくことで限りない感動や喜びや愛や人類の歴史、地球の歴史、宇宙の仕組み、この世の仕組みなどを知ることになります。知ること気付くことが許される段階とは、子供に本物の銃をおもちゃとして与えるわけにはいかないのです。 それほど深淵で偉大な神の力、想像の力、神の仕組みの精緻さを知るには、それにふさわしい魂の段階が要求されるのです。それを「聖なる神に向かう大河の流れの循環」といいます。 この人類に紛れて、それらに覚醒している宇宙人たちが混じって存在していることはあるていど知られるようにはなってきているのと、チャネラーたちによって宇宙存在達からのメッセージとして知られるようになってきている今という時です。 それは今という時だからこその現象です。 江戸時代にはありえないのです。 その前の時代にもありえなく、今だからこそその宇宙の仕組みが明かされつつあるのだと思います。 それを知って未来にはばたく者達と、信じることができない者達、知りたくない者達、かわりたくない者達というように縦分けされて移星していくことになります。
「日天意神示」より 「これより先に難しい仕組み、複雑に敷き為すことなどあらぬと思え。 仕組みは万全、用意すべて整い調いて迎えたくくり結びであるから、目に見えてその変化見ゆるよふになってから慌てる吾人には何一つ間に合うことなくなりてしまうこともあると、身のわきまえ以て日々過ごすこと、くどくくどくも申し置くものなり。建速の風吹きすさび、大國の地ならしと共、九頭竜に守られて白金の柱ことごとくまばゆい光差し届く時至る。」 今わの際に置かれた人類の今という時の大事さをどう生きるのかという道しるべなき危うさを見るに忍びない時にいたっています。 ともに歩まれますよう願うばかりであります。
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<神から人へ(1)>
混沌とした世界に於いて、日本に降ろされた高次元存在(神)からのメッセージは人類にとって重大な内容を伝えています。 宗教は自分たちが気付いた真実やそのやり方や修行法を広めたり護持するための団体のことを言いますが、それぞれの正しさに固執するために人類の争いの根源となっています。 本来、真実とは神と人の個々の契約や導きに向かうものであって団体が表舞台に立って支配するものではありません。 <神から人へ> 後巻より抜粋
「人へと伝えし教えならば、神の言葉を人に知らせよ。 この世の変わり目、この世の終わり、時は移りて始まらんとす。 この世の汚れも、間違いも人の造りし文明文化も、神の御心にそぐわぬものは、残さず消して、作りなおさん。全ての人に改心を。知らずに積みし罪科を、悔いあがなうはこの時なり。さらに伝えん、真の教え。真のことばと、神の意図。神は人へと伝えるらん。神の思いと人への願いを。人に求むる霊行を。今まだ知らぬ無縁の者にも、知りてもなさぬ愚か者にも。等しく与えん、最期の機会。最期の縁なり、この世における。心し聞けよ。書き留めよ。」 この神示の内容は、人を造りこれまで人類を導いてきた神と呼ばれる高次元の存在より人類にこの世の最後の導きの言葉を伝えよう。 心して聞くように。 という事です。 これを聞いた者は、見た者は幸いなるかな、さらにその真意を求めるべし。という事だと思います。 何千年も昔に伝えられた言葉ではなく書物ではなく。 今、人類に伝えている言葉ですから、そして日本人に先ず伝えているのですから心して聞いた方が良いに決まっています。
「ひふみ神示」にある、「だました岩戸からだました神が現れた。 その神が世界の模範となるべき日の本の民をたぶらかしてこの世をワヤに懸けてしまった。」というのは何を意味するのでしょう。 ほとんどの民は騙されているという意味に聞こえますね。
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<日天意神示について(3)>
「日天意神示より」
「アカネの珠に赤と白の光が交わり閃光となって輝き放ちたら道に乗らぬ者のけじめが音を立てて始まるぞよ。 立て分けは日毎にはっきりとして参るがゆえ見直し聞き直し宣り直しをしっかりと身につけよ。後にも先にも開闢開顕と申し知らせ参った時、静かに起こし越えたのであるぞよ。 いつまでも人の得心与えるための手間はかけておれぬ。 追いて来る者が全て。」 この神示の意味は深淵ですが、太陽に赤白の閃光のフラッシュが起きた時、これまでの神の導きに知っても知らなくても乗った者、乗らぬ者とその未来の行先が明確に変わることになります。 これより先、日毎にその現実が身近に感じられるようになるので、今まで真実を学んできた者も改めて更なる真実に向かい精進をすすめるように。正に天地始まっていらいの大きな地球人類の大変革の時が今訪れようとしています。 もはや人々を教え諭し導く時は過ぎているので追って来る者しか救えぬと解釈できます。一般的にソーラーフラッシュの事を日本語的に表現していると思います。 その光景は今まで、あらゆる生命を育んできた太陽という存在そのものが人類に一大転機をもたらすための仕掛けであり、ソーラーフラッシュが合図となって、空に宇宙船が満ち、空の色が変わり、まるでゲームの場面が変わって新しいルールのシーンに入り込んだような不思議な世界を体験するのかもしれません。 そもそもが仮想現実の世界であり、陰陽の働きによって現れた大宇宙において想念思い意志による素粒子、波動の変化を脳が感知翻訳している世界なのですからゲームのような世界と例えることも可能です。 或いは、自分の思いや想念を創造してそれを現わして自己体験しているという自作自演の世界とも言えます。 そこに気付く事で初めて自分の意思で現実を創造し始めることが可能となるのですが、そこに気が付き実践し始めると思い通り自由自在の世界が展開されていくことになります。 そこに至る頃には我欲、執着、自己中心、欲望、自己保身など動物人間としての意識が薄れ、宇宙、自然、法則、神、高次元な世界への関心が強くなります。 それは、この三次元地球での学びが終わりさらに高い次元での学びに向かう事を意味します。 その次元の扉が開かれてそこから光の世界に消えていくものと、行くことを拒否したり迷ったり躊躇するものに分かれます。 その扉の先の世界を望むものは迷いなく入っていくことができます。 しかし、これまでの地球の常識の価値観の中に漬かっている者には、未知の世界であり、恐怖が先に立ってこれまでの世界にとどまることを選択することになります。 そして、これまでの地球は浄化の嵐が吹き荒れ、あらゆる天変地異によってすべての生命が地球を去ることになるのだと思います。 それが日天意神示に示された神示の意味と思われます。
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<崩壊前夜(1)>
遥か昔、人類が誕生したとき、人類が降ろされたときというか気が付いた時、それは巨大な恐竜たちが跋扈し、巨木が生い茂る弱肉強食の時代、原初の地球の生態系に何度か大きな変化が発生して気が付いた時、そこに自分がいた。 つまり神と人がともに新しい地球の歴史を刻み始めた最初の時、美しく温暖で豊かな大自然に囲まれ、海、山、川、野にたべ物があふれ、感謝と祈りによって互いに喜びの中で人類の未来を創造しはじめた時代があったのです。 それは宇宙由来の魂たちが、神々が創造した人類の中に人間の宇宙服をまとって地球に降り人生を体験し始めた時でもあったのです。この物理次元の時空の概念の中に展開される創造の世界、顕れの世界の面白さ、楽しさは非常に魅力的なものだったに違いありません。 それがリンゴの実を食べることで人間としてこの地上で生きることを選択した事を意味しました。 それはエデンの園を追放というよりも、地球の人類の歴史を担う事を了解した魂たちの必然的な成り行きというべきものでした。 それ故、神々との交信や生れ故郷の星との交信も普通の行われていたように思います。 そして他星から転星してきた異星人達は、この物理次元の法則の中での生活に慣れるにしたがって肉体という宇宙服の中に入る事で五感の認識が主体となり、肉体を維持する本能的な欲求や楽しみに心が奪われるようになり、様々な葛藤はあっても結果的に肉体人間としての認識の傾向が強くなり、いつしか彼らは生れ故郷の星を忘れ、自分が宇宙由来の魂であることを忘れ、徐々に地球に降りた使命も忘れ、神への祈りや感謝や交信も怠るようになって、原人類の支配層としての動物人間の価値観となってしまったのです。 そして今に至る人類の歴史が始まり、それは肉体人間の欲望、願望、楽しみ、優越感、競争などが人間としての基本的な概念として普通に認められる価値観の人類の歴史であり、人類を創造した神から見ると、それは「人類の暴走」であり神を恐れぬ所業となり、神への冒涜であり、神との約束を忘れ、神をないがしろにし、偉大なる神、想像を絶する神をも恐れぬありさまと映ります。 このような宇宙の他の意識体による人類支配や地球支配への思考操作、洗脳、誤った知識による選民意識、優勝劣敗や人間の欲望を主体とした文明へと発展してきたが故に、それは人類の英知では収拾不能な領域に至っているのが今という時です。しかし、神々にとってはそのような人類になるのはわかりきっていたことであると思います。 何故なら、異星間の争いや宇宙存在同志の目的は同じでも方法の違いや順序の違い、価値観の違いなどによって様々な葛藤が存在している事を知っていたし地球に関与している宇宙の存在も全部知っており、どのように関与し、何が起きているのかも全部知っていたからです。 だから、アトランティスやレムリアが沈んだ時に新しい文明を始めるにあたり、世界の中心として今の日本という地を作り、そこに純粋な神々の子孫を渡らせ、降ろしたとも言え、そこから世界人類を指導し導くために散っていった神々の子孫と原人類の現在に至る歴史が始まったともいえるのです。
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<崩壊前夜(2)>
その歴史の流れは日本における縄文時代にさかのぼります。 今よりも高度な精神文化の栄えたアトランティスやレムリアの時代から生き残った異星人の魂を持つ者達と原人類の末裔たちによる新しい文明の始まりです。 つまり遥か昔の日本となる自然豊かな地に、神との交信を行う者達に導かれた人々の平和で豊かな生活を主とした者達が、使命感や自然環境や人間の持つ好奇心やチャレンジ精神によって世界中に散っていく事になりました。 それがシュメール文明やメソポタミア文明、インダス文明、長江文明、インディアン、インカなどの様々な人類の歴史へと繋がります。 それは地域性や、地域の原人類との摩擦や統治の仕方、教育など様々な異なる文明の発達となって行きますが、地域制、自然、人種、民族性や異星人の関与など様々な要因によって異なった発展を遂げていきます。 そうした人類の発展の歴史の中で、この人類を創造した神々の思惑が人類の方向性に大きな役割を担ってきたのです。 当然と言えば当然なのです。 何故なら地球を作り、人類を造り、何度も作り直し、アトランティスやレムリアの文明を滅亡させ、新たに現在の人類をここまで導いてきた神がこの文明の発展に関与していないわけはないからです。この現代文明における歴史認識というのはたかだか数千年を紐解いているのですが、それでも石器時代や、文明発祥といわれている時代、正に弱肉強食の動物人間の世界からの出発ですからワクワクするような歴史やおぞましい戦いの歴史など様々な民族、国家、個々の人々の様々な歴史が存在しています。 中でも重要なのは様々な歴史の趨勢の中の転換点となって大きく歴史が動く時、必ず自然の驚異や人類の歴史に大きな役割を担う人物が登場するのです。 そして、世界中に出かけて行った遥か昔の縄文人の末裔たちは日出ずる国、東の果ての聖なる魂の故郷へと導かれてたどり着きます。しかし、様々な異なる地で異なる生活や習慣や価値観を身にまとっているために、たどり着いた故郷の人々とは大きく異なる侵略者とも言える現実に直面しますから争いが起こり、強いものが支配していくことになります。 それが卑弥呼の時代、スサノオの時代、大国主の時代、朝鮮任那国の時代、三韓征伐や元寇の時代などにつながっていきます。 そして日本の戦国時代、江戸時代、明治、大正、昭和の戦争を経て今に至るのです。言えることは侵略者と映る帰省してきた人々には遥か昔の魂が宿っている人々であるために、侵略して殺しまくって入れ替わってしまうのではなく、この日の本の地の波動や大自然の豊かさや霊性によって同化していく道筋をたどったのです。その証拠に日本語が他国語に入れ替わってはいませんし、人種が変わったわけでもないのをみても、国民性が変わったのでもないのを見てもわかります。 そこに大きな神の意志が働いていると読むことができないでしょうか。 何故なら、日の本日本からすべてが始まっている大元の国が存在しないと神の経綸が成就しないという意味でもあります。 また、日本という国の地勢、人々の言葉の隠されてきた秘密が存在するからです。
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<崩壊前夜(3)>
はたまた、諸外国の実情をみますと、ほとんどの国が犯し犯され、奪い奪われ、キリスト教、ユダヤ教、ヒンズー教、イスラム教などに洗脳され、個人主義が横行し、選民意識や弱肉強食や唯物史観が普通となった世界が展開されています。
そうなりますと、恐怖とお金で支配され、宗教で洗脳されて支配されている人々からそれを取ってしまうと動物人間の世界へと逆戻りしてしまう事を想像するのは難くありません。 それは様々な自然災害時における人々の行動や、人を動物以下に扱う所業や、平気で人を殺してしまう人々や、他の平和に暮らしている国を侵略して自国のものにしてしまう国家や、乗り物の乗り降りにおける行動、人種差別、金儲けのため支配のための企業や、国家の乗っ取りや支配を企てる人々、自分の裕福は他の不幸を気にしない頭の良いとされる人々などキリがないほどの無礼狼藉腐敗汚辱にまみれた人類の上に立つ者に支配されているのがわかります。 第二次世界大戦日本では大東亜戦争ですが、日本から見ると鬼畜米英、敵国から見ればイエローモンキーとして、原爆の実験台にしたり、捕虜を殺してドラム缶で煮て頭蓋骨に細工を施してアメリカの恋人に送ったり、ドイツではユダヤ人の体の油で石鹸を作ったり、中国の歴史も悪逆非道を超えた人間扱いをしない世界が広がっていました。 白人国家以外の人種は動物として扱ったり認識している精神構造の世界だったのです。 それはインディアン、インカ、インド、インドネシアなど東南アジアの植民地、アヘン戦争、アボリジニ、黒人奴隷、日本人奴隷の輸出などどれほどひどいことを行ってきたのかなどキリがないほどの痕跡を見せています。 近年はだいぶオブラートに包んでいるものの、基本的な構造はさほど変わっていないし、この日本という国もそのような人々に支配されつつあるというのは知る人ぞ知るという有様です。 これほどの人類に対する悪行は今に始まったことではなく、遥か昔から動物人間の性を利用した地球支配の宇宙生命体の存在の力が働いていて10年20年とかではなく数千年の時をまたいだ図り事なので知らず知らずのうちに支配されてきているのです。 そもそも、数千年にわたり教育洗脳されてきて今の世界が出来上がっているのですから、それに慣れ親しんだ人類が気付くはずもないのは理解できます。 それを知るのにもっとも簡単な秤は、自然に調和しているか、自然界の働き、法則、動植物の生き方にマッチしているかと比較すれば明々白々となります。 人間の価値観、社会の価値観、歴史、風習、教育などどうでも良いことで、それは人類の問題であり、自然界の価値観とは相当に違っています。人類の前に宇宙があり、自然があり、地球があるのですから、人類は先ずそこをベースに生きなくてはならないのは当然のことです。それに反する生命体というのは自然界の法則によって淘汰の道を歩むことになるのです。
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<崩壊前夜(4)>
このような歴史によって今の人類があるのですが、相変わらずあちこちで戦争をしていて、戦争を仕掛け、計画し、ウイルスをばらまいて金儲けをして、国を疲弊させ、人間を殺しまくり、殺人ウイルスや殺人兵器と化したワクチン、殺人ロボットや人類を滅ぼしかねない核兵器で脅し、それが先進国であり、それが人類の中で強い力を持ち、それが国連の常任理事国といわれる人類の上に立つ国々です。 それは国ばかりではなく文明全体に言えることです。 企業で働く善良なお父さんたちと言えども、その企業がどれほど地球にとって悪であるか、自然に反しているか、人々を虐げ、洗脳し、強制的に安給料で働かせ、恐怖で支配してぼろぼろになるまで能力の限界まで追い込まれて、或いは、やっと生活できるくらいの共働きの生活で子供の教育もままならない生活に疲れ果てて、子供の夢も希望も規定化された思考や知識の中に限定され、人口減少に至り益々困窮する生活を強いられることになるのか、いつ戦争が始まるのか、経済は、医療は、年金は、物価は、株は、政治はなどの不安を煽られ、マスコミに支配され、操られ、洗脳された人々の群れという構図があからさまになってきています。 それは、もう詰んでいるゲームを詰んでいるとも知らずに積む時期の到来をコントロールされてやらされていると見えませんか。 簡単に考えて、人間でありながら人間を学ばず、自分が体をもって生きているのに体を学ばず、自然の中にいて自然を学ばず、経済や、嘘の歴史や、どうでも良い知識を暗記させられ、言葉の意味も知らず、人としての正しい人生観や人間としてのあるべき方向性や正しさの基準を学ばず、競争に明け暮れ、差別意識を高められ、良い学校、良い成績、従順な社会性、非個性化、平均化などの価値観を植え込んでそのような社会人を生産しているともいえるのです。 それが自然を壊し、貧富の差を拡大し、人間を差別区別し、戦争に駆り立て、不安と恐怖と欲望の渦の中に人類を放り込んで出られないようにしているという絶望的な詰んだ状態と言えます。
さて、そのように見てまいりますと他星人たちとその手下の人間たちとそれに従う人類の支配層の人々の構図からの脱却は、数千年の図り事を仕組んだ人知を超えた知能の企みから逃れることはもはや不可能という結論に達するのではないでしょうか。 ましてや気付いたとしても何もできない、従わないと生きられないというのは詰んでいるという事です。 そうした状況において知らねばならない事を次の章で述べてみます。
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<崩壊前夜(5)>
これらの支配された仕組み、詰んでいる事に気付いた人々はほんの一握りの者達と思います。知ったからといって何ができるわけでもないし、ましてや変えることなどできようはずもないとまずは知る事です。 それがわかれば、これまでの生き方、やり方で何をしようとも詰んでいるのですから無駄な努力という事になりますから無駄な労力はやめましょう。 別な解決策に向かいましょう。その第一歩は、〇「このような支配構造は絶対に嫌だ!間違っている!」と自分に宣言することです。 そしてできるだけそういう世界から精神的にも、肉体的にも離れる事です。 体の健康やバランスを保つこと、運動を定期的に心がける事、大自然の中にいる時間を増やすこと、自然を相手にした遊びや趣味を増やすこと、体の健康に悪いたばこやお酒や暴飲暴食、肉食を控えていくこと、瞑想の時間、自分との対話の時間を増やすことなどから始めましょう。
〇次に、音楽や芸術性の高いものを見たり聞いたり、創作をしたり、創造性や未知の世界の読書をしたり、これまでテレビを見たりパチンコをしたり、酒を飲んでそのまま寝てしまったり、娯楽事、仲間との宴会などの時間をそのような創造性のない時間を創造性のある自分へと変化させていきましょう。
〇次に、思考、思想、想念、心、魂、意志、神といった目に見えない世界に自分を導いていくことが不可欠です。 そのために最初に行う事は、「うれしい 楽しい ありがたい」という言葉の頻繁化 「感謝 感謝 感謝に満ちた生活」つまり人間は本来そうあるべきという真実真理で大きな変化を起こす言葉を声に出していう習慣を身に着けることです。 それによって自分自身がそのような人になって行く宣言(祈り)をしていることになります。 何故感謝しなければいけないか、何が嬉しいのか、何が楽しいのか? 嬉しくも楽しくもないのにそう思えとか唱えよというのが不自然と思うかもしれませんが、何かかにか何でもよいので見つけて具体的に唱えてみることです。 奥さんがいつも洗濯してくれることだけでもどれほど有難いか、子供の笑顔がどれほど勇気をくれるか、健康であることがどれほど有難いか、なんでも感謝しきれないほどの感謝しなければいけないことにあふれていることに気が付くでしょう。
それを続けることで、様々な身の回りの変化に気が付き始めます。つまり究極的には、自分が自分の宇宙の創造主であり、すべては自分の創造の産物であり、すべての体験経験は自分が作り出していた自作自演の主役を演じていただけだった。 思い通りに自分の人生を創造できることに気が付いてきます。 そして、次に訪れるのは神から出でた自分の本質に気が付くこと、神に向かう喜び、神のもとにかえる安心感、神の働きをしたり、神に向かう事で自分の成長が加速することの満足感などが感じられるようになります。 そのためには、まず実行してみること、わからなくてもいいから、とにかく始めることです。もう詰んでいるのですからほかに道はないのです。
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<崩壊前夜(6)>
そして、数億年の歴史を紡いできた地球の人類ドラマは終焉を迎え、新たなる未来が始まります。 それは、この地球という星を全員もれなく去らなければならない事が起き始め、人類の知識や経験をはるかに超えた未知の破壊と創造の始まりですから、すべての人類が巻き込まれて卒業していくことになります。人はたった100年前後でほとんど死を体験する生命体とすれば、70億人という人類が1年間に7千万人ずつ死ぬことになります。 その大惨事?は戦争やウイルスどころではないはずですが、人々はそれを受け入れているので問題にはなりません。 ところがこの数年間で70億人がこの地球を去るとしたら大惨事どころではない大異変と思いますが、そこに至る動きが始まっているのにはとんと無頓着なのが今の人類の哀れさというか悲しさです。 いま、一日一日、時間の数秒も惜しんで自分の真実に気付かなければいけない時に、趣味や娯楽や、退屈さをもてあまし、或いは、金儲けやこの世の栄華に向かい努力する姿は消えゆく陽炎の如しという有様に見えます。 この現実世界と思われている虚構の世界は、これまでの人類の在り方、生き方、選択の結果として表れている現象ですから、もはや残された時は少なく何もかも間に合わない今となっています。 この「世界を望む家」を通じて、この真実に出会った者は現象的には間に合わなくても原因の世界においては自己の真実に目覚めることが可能です。 その真実の魂に目覚め、真実の世界と自分が一体となることが現象世界の人生の意味ですから、そこに目覚めて真実に向かう選択をすれば、その場その時から光が差し、光が降りてきて自分の内からの光と同期をとり始めます。つまり迷妄の世界から真実の世界へと、蝶がサナギから羽化登仙するがごとく新しい世界に羽ばたくことが可能となるのです。 さすれば、この地上で何が起ころうとも、どんな状況に出会おうとも、たとえ死ぬことになっても大丈夫なのがわかるので安心して運命に従うことができます。 このfurano.blogをご覧になった方は数少ない神に導かれた者達と思います。 この富良野の地も大きく変化します。 何故なら聖地としての役割を担う事になっています。 一人でも多くの方が、このBLOGに出会う事を期待してこの「崩壊前夜」を終わります。
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<教育について(1)>
洗脳も教育も同じようなものかもしれませんが、ここ数日イランからイスラエルに対して200発ものミサイル攻撃がなされてイスラエル住民はシェルターに避難をしました。 サイレンと爆音が鳴り響く中「アッラーは偉大なり」「アッラーのほかに神なし」「礼拝に来たれ」のスピーカーからの祈りへの放送が流れるという如何ともしがたい混沌とした戦場。 互いの市民は平和を望んでいるが、イスラエルを海にたたき落とすまでやめないとか、アッラー以外の神は認めないとか、攻撃される以上、抹殺しようという意思がある以上、守るためにはその脅威がなくなるまでそのすべてを一掃する。 ここに於ける根深い報復の因果と宗教の教義や誤った教育によって洗脳された人々の未来に平和は訪れるべくもないのが現状です。 誤った教育とは、自然に反し、虚偽に満ちた真実、双方ともに都合の良い解釈や正しさの基準、或いは自然や地球や宇宙の摂理、真理を無視した我良しの解釈、つまり自分たちに良い事、楽しいこと、嬉しいこと、有難いことは他方にとっての災いや悪いことという基準を言います。 植物にとって、森にとって、動物にとって、海にとって、地球にとって良くない事は、人間にとって良いことであっても悪いことであるという概念の欠如がもたらす混沌の極みが戦争という結果となって、或いは因果の果となって表れたものです。 中国の正しさの基準は台湾有事となり、ウイグル人を奴隷のように扱い、臓器移植で稼いだり、日中有事にもなります。 中国や韓国における子供のころからの反日教育は嘘のゆがんだ価値観によって大人になってから「日本人にはなにをやってもいいんだ」というような問題を引き起こします。 信頼される機関によって教育されると、人間というのは嘘であっても嘘とは思わず真実として受け入れてしまいます。 韓国の竹島教育も「古来から独島は韓国の領土」それを犯そうとしている日本は悪い国という嘘を教え込んでいるから彼らは「私が子供の時から独島は韓国の領土だった」となります。 そのようにして世界中で嘘だらけの教育や歴史が繰り返されてきているのです。 日本の歴史の改ざんも然り、アメリカの世界中で戦争の火種をまき散らす嘘もあからさまに恥じることもなくよくもまあいけしゃあしゃあと、見ている方も開いた口もふさがらないほどの厚顔無恥さを見せています。 この世界の現実は、あらゆる分野において嘘がまかり通っているといっても過言ではありません。 太陽光発電、二酸化炭素削減、ECOなんたらかんたら、医療、予防薬、薬品、麻、血圧、国家財政赤字、学校教育の意味、立派な社会人説、社会的常識の正しさ、マスコミの嘘、歴史の誤り、政治の在り方、選挙の不公平さ、支配者たちに牛耳られた政治や社会、ガンの早期発見を推奨する意味etc,,, 限りなく嘘のオンパレードなのである。そこに気付かない大半の人々の群れ、それをキリスト教的には「子羊の群れ」というのかもしれませんが、それらの人々と言っても一人一人、人生というものがあり、それらの嘘の価値観の中で必死に生きているのであり、そこからちょっとでも外れると危険とか不安に襲われることになります。 それが嘘の教育の恐ろしさであり如何ともしがたい幻想、迷い、信じ込んだ嘘の中で一生懸命人生に価値を見出しながら生きているというのは悲しい現実と言えます。 でも、そろそろそれらの夢から覚めないと大変な事になると知らなくてはなりません。 未来永劫悔いても悔いきれない残念となってしまわないように。 例え、怖くても恐怖の念がわいても、自分という者の本質、自分とは何か、人生とは何か、何のためにここに生きているのか、これから人類の向かう先はという真実に向き合わなくてはならないのです。 さすれば、いままで見てきた夢の中の人生の価値基準がすべて、洗脳、教育されてきた嘘の価値観によって築かれてきた文明であると理解できます。 何故なら、「自分とは何であるか」という基本的な基礎となる真実の理解がないまま、嘘か本当かわからない教育や洗脳の中で生きてきてしまっているのですから。 その基本が違っていたらすべてが違うことになります。 そして混沌とした光の見えない迷路の中で個人主義が蔓延し、宗教の違い、嘘の洗脳の価値観の違い、様々な違いに踊らされてカオスとなって行くのです。
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<教育について(2)>
つまり真実の最初に戻る事をしないと、途中からの曲がった状態から進めても曲がったまま行ってしまいます。 根本が違えばすべてが違ってきます。 であれば、人間とは何であるかという根本が間違えば人間の本質から外れ、自然の中に生かされているのに自然を破壊し、地球に育まれているのに地球への感謝を忘れ、先行き崩壊に向かうしかない未来に猛進していくこととなります。 何故なら、最初が違っていて、この間違いに気づかないように仕組まれてきたからです。 誰によってか、、、、。 つまり、人類の歴史、地球の歴史、宇宙の歴史という壮大な時間の中で「人生」のたかだか数十年の経験や嘘の知識や幼い知能レベルや五感という限られた知覚で気付く正しさの基準や真実がどれほど危うくつたないものであるかを知るべきです。 しかもですよ、体験しているすべてが幻想で過去の残像としたら何をかいわんやという事になります。 それなのに自分が自分が自分はという妄想の中にいては訳が分からない認識の中にいることになります。 では、どこから始めたらいいのか、何を最初の正しさの基準に置いたら良いのかという事ですが、最初に今までの教育や社会の常識、信頼する政治、マスコミ、企業、宗教のすべてが間違っているかもしれない、自分の正しさの認識は妄想であると知ることが大事です。 例えば、学校教育は何を目的にしているのかを知るだけで愕然とします。 資本主義の本質を知れば、社会主義の現実を見れば、豊かさの裏にある飢餓の群れをみれば、指導者達の本質を見れば、どれほど排他的で欲にまみれ人を押しのけ、人よりも優位に立とうと、人よりさらに持とうと、人をいかに貶め堕落させ支配するか、嘘を真実と思い込ませるか、利益のために人々を執着させるか、欲望に火をつけて真実から遠ざけるかという腐臭ただよう者達によって成り立っている社会というのが見えてきます。 ロシアのプーチンを見ればわかるし、ウクライナの日本からの支援金の横領や支配層の堕落ぶりをみてもアメリカの国民支配体制を見ても、軍需産業が生き残るには戦争を起こさなければ生き残れないし発展しないのは火を見るより明らかです。 世界人類の指導者達、力のある者達というのは基本的に強欲であり、自己顕示欲が強く、力の誇示を誇り、頭の良さをひけらし、人々の命を軽んじ、人々が力を持つことを嫌い、まとまることを嫌い、人々を無知の状態、無能状態、貧しい状態において生活苦の中で思考が真実に向かわないように、貧しくない状態の者達は3S政策で娯楽や遊び、スポーツ、芸能、暇つぶし産業なども向かわせ脳をマヒ状態、興奮状態に誘い、マスコミは嘘、大変さ、事件、災害などの報道で恐怖を煽り、どうでも良いニュースばかり流し、真実に目覚めないように知らせないように操っています。 国連の常任理事国はどこも戦争していませんか? つまり世界を動かしている人々がそのような世界を作り維持しているのですから良くなりようもなく、真実には目覚めないようにコントロールされているのがわかります。 そしてアトランティスが滅びた原因もそのあたりにあるのです。
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<教育について(3)>
つまり、人類よりもはるかに進んだ知能やテクノロジーを持った異星人達による、地球支配の現実を認識しなくてはなりません。 何故なら、この無限の広がりの宇宙において、無限の時空において人類がいかに幼く、無知で、幼稚な生命体であるかという認識や、低次元の認識の中に置かれているかを知る事です。 それは遥かアトランティスの時代、つまり、縄文時代数万年以前の時代の事です。 今よりも高度な人類が存在していた時代があったのです。 その時代において人類と宇宙人の関係は普通に交流がありました。宇宙人達というのはこの物理次元に制約された地球で人類を作った者達と言えます。 その高度な文明が消滅したという事実を知れば、もちろん知ればという前提ですが、その原因が(2)で述べた様々な現象に宇宙人がかかわって来たこともわかります。 人類を創造した宇宙人たちは人類を滅ぼすために、地球を崩壊させるために作ったのではないはずです。 ある崇高な目的をもって人類を作り導いてきたのですが、当然のごとく宇宙人たちの関与によってその目的の方向性が大きく狂ってきたのが今という世界の有様という事になります。 本来の崇高な目的のためにあるべき人類の姿というのは、「宇宙との調和、自然との調和、人類を創造した存在への理解」が大前提となる生き方という事になります。 さて、この人類の中でどれほどの者達がその存在の根本に根差した認識をもって生活しているのでしょうか。 そこに気付くためには、人類の歴史や常識、社会の価値観や自分の認識以前に宇宙があり、自然があり、自分という存在のこれまでの認識の排除という事が必要になります。 これまでの人生の価値観の中からいくら思いをはせても嘘偽り洗脳が邪魔をして真実への認識には中々至ることができないのが現実です。 そして、今という時ほど真実に向かう真摯な気持ち、気付き、覚醒が大事な時は無いと言えます。 また、インターネットを通じた様々な情報やチャネリングを通じた地球外生命体などからの情報もありますが、人類にとってその真偽を見極められる者は極わずかという状態なので非常に混沌としており、その中に多くの危険もはらんでいます。 まあ、話は話として知っておくのも良いとは思いますが、先ずは自分を知る事、自然と共にある事、宇宙の知恵、偉大さなどに注意を向けることなど、絶対に間違いのない基準をもうけることから始めましょう。例えば、「自分が体験している、してきた世界はすべて自分の創造した自作自演、つまりすべて自分を体験した」と知るべきです。 良いことも悪いことも、おぞましいことも、嫌なことも悲しいことも、とても自分のせいとは思えないこともすべて自分の創作した世界、自分の表れを体験したというのが「真実」です。 そこがわかれば自分の世界観が変わります。
例をあげると、車を運転していて相手にぶつけられたとします。 自分は止まっていただけなのにぶつけた相手が100%悪いのは当然ですがそうではありません。その状況を作ったのは自分である事を知らなくてはならないという事です。すべての原因は自分にあるという認識が重大なのです。 それを知るか知らないかという人生の違いは計り知れないほど大きいのです。 何故なら、真実を知る第一歩になります。 そこを知らないと何も始まらないというくらい重要な認識なのです。 そこから始まる目覚め、目からうろこが落ちるように覚醒の扉が開き始めます。 もちろんそこに至ることが赦されたものにしか明かされない真実ともいえるのですが、このブログに到達した人はそれが赦された人々という事です。
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<教育について(4)>
さて、そこまで来ますと自分の世界、自分の宇宙、自分の創造、様々な常識や歴史の間違い、人生の現実という虚構の世界の認識などが理解され始めます。 まず、絶対に間違いのない基準を構築始めることが大事です。 例えば、学校で教育を施す目的から異なってきます。 言葉を教える、文字を教える、表現力を鍛えるなど日本人として社会に適応する教育は基本的に大事として、自然から学ぶ事は限りなくあります。 地球から学ぶことも限りなくあります。 そして、その自然や地球の自分は一部分であること、地球や太陽に、宇宙に育まれている事を常に学びます。 そこを基本として人間とは何か、自分とは何か、自然とは何か、宇宙とは、人間としての自分の体はどのようにできているか、病気とは何かなどの人間としての本質を学ばなくてはなりません。 宇宙との調和、自然との調和、他との調和、そこが全ての基本となります。 また、それを教えられる人材を育てなくてはなりませんが、ほとんどいないのが今の人類の教育システムです。 それらをベースとした教育が行われれば、惑わされること無く宇宙と調和した学びが始まります。 また、宇宙存在にも惑わされることのない本当の人類の生き方、在り方を学ぶことが可能となるのですが今となっては不可能と言えます。 よって、なにが起きるのかというと不調和、不完全の限界点に達することで崩壊が起こるという事になります。 何の崩壊かというと砂上の楼閣の崩壊という事です。 この文明、文化、自然に反するテクノロジー、人類の全てに及ぶ大変化という事です。 そもそも、この現実世界というのは虚構というのは何度も述べていますが、結果の顕れの世界ですから原因が変われば結果が変わるのです。 その原因の世界においてすでに大きな変化が起きているのですから、それが結果として表れるのは時間の問題となります。 では、どのような教育が正しいのか、どうあるべきなのかというのは別な項に譲るとして、これまでの人類の誤った教育や洗脳によってどうなってきたのか、どうなるのかを述べてきました。 この世界、つまり現実世界、地球、宇宙、自然、そして多重次元の宇宙という設定の中において様々な大変化の予兆が見え始めています。 その変化は時空や次元を超えた大変化という意味であり、これまでの人類の長い歴史の体験や経験によって多くの魂たちが気付きの時を迎えており、その数がある一定の人口になる事が予想されることで起きる大変革という意味になります。 その意味する具体的な変化としては、サナギが羽化登仙して蝶になるような別世界に向かうという事と思われます。 毛虫や青虫で這いずり回っていた時からサナギへと形を変え、これまでの毛虫状態がいったんサナギの中で溶けてしまい、その中で蝶になるべく大変化が起きていて蝶になる時期、サナギのからを破って羽ばたくタイミングを待っています。 同じように、人類はいったん混沌とした訳の分からない大変革に見舞われることになり、魂の成長段階によって行先が違ってきます。 どちらにしても、これまでの地球を全員が卒業しなければならなくなるという事でしょうか。 でも、そうなる前に最後の気付きのための最終的な大イベントがあるようです。 その時に人々は乗るか反るか迷うか、何もしないか、それにも気付かないかというような、これまでの生き方や学んできた魂の覚醒の段階が試されることとなります。 どちらにしても自分の未来の未来永劫が決定する大事な時を迎えつつあるという事だと思います。 大事なキーワードは「すべてに感謝」「地球と共に、自然と共に、宇宙と共に、神と共に」歩むという祈りと言葉と自分の未来を意志する事です。