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覚 醒

 

私たちは物質的な肉体を作ることでこの地球の美しさを体験するためにやってきた光の存在です。当時の肉体は今よりも遙かに軽く精妙な波動でより高次元の波動から物理次元の波動まで自由に行き来することが可能だったのです。

また、私たちは光の存在であり、神でもあったのでこの物理次元に於いて何でも思い通りに表現したり手に入れることが可能でした。時間空間によって遮られているように見えるすべては見えるだけであって、すべて私の中のすべてである事を知っていたのでどうにでもなったのです。私たちはしばらくの間このような天国のような物理次元の地球を楽しんでいたのですが、いつの間にか物質世界が現実であると錯覚をしはじめて、それとともに自分が光の存在であり、神の世界からこの地球に来たことさえも忘れるようになり、この物理世界の法則に縛られ取り込まれていくようになってしまったのです。 同時に神である事さえ信じられなくなって神の子人間である事を忘れ、動物人間として理解するにいたり、この物理次元を現実として受け入れることによって生老病死をも受け入れ、それによって生じる様々な葛藤、不足、欲望、願望、我欲などの我良しの世界を生じさせてきてしまったのです。 そして今や人間は本来神の子であり神そのものであるという本来の姿を受け入れることも、理解することもできないほど真実から遠ざかってしまい、遙か昔のこの地球にやってきた時の真実に立ち返る事は困難を極めるほど大きな壁となって乗り越えることも突破することもできないのが今の人類の姿であります。

しかし、今、天上界の神々の働きによってこの地球は大変革の時を迎える事となったのであります。

それは、宇宙文明の夜明けであり次元上昇による新しい地球の誕生であり、地球本来の銀河宇宙の役割を担うという神の意志の発動でもあります。

私を産みだした想像を超える神は、あらゆる生命の根底に存在し、無条件の永遠の愛、光、喜び、感動、無限とも言える美しさ、平和、永遠の広がり、永遠の生命、完璧な一体性と調和 つまり自らの内にあるこれらの聖なる自己を再体験するプロセスにあるのであります。

私は神の子であり、神そのものでもあり無限者であり創造主です。 神から放たれた光である私の身体は波動であり原子であり、意志することによって質量となり空となる存在です。 故に私はこの物理次元の一切に制約されるものではなく、その価値観に縛られるものではなく自由自在無碍なる存在であり霊そのものであります。

神聖なる神の表れである私は肉体 霊体 エーテル体の波動を自由に行き来して美しく、光に満ち、愛に満ち、感動に満ち、喜びに満ちた光り輝く存在であり、何者も我を害することはできず、病も、災いも、原子力の力を持っても私を傷つけたり、私の聖なる目的を犯すことはできません。 今、私はこれらの真実の自分に気付いたが故に物理次元の価値観に支配された人間世界の一切の常識や洗脳や不自由から離脱して自由無碍なる神としての生き方を実践する事を最優先にいたします。

今こそ私は死を放棄します。 肉体の老化や病気、その他の有限の思考が私に課してきたすべてから解き放たれます。 私は年齢という概念、歳をとる、死に至るという概念を放棄します。 群集心理に従う事を拒否しそこに安住する事も拒絶し、死に向かうあらゆる価値観や感情的な執着から離脱します。私は葬儀場や墓場を放棄し、生命がなくなるという概念を放棄し、私は今永遠の生命を受け入れます。 愛に満ち喜びに満ちた光に満ちた生き通しの自分を受け入れます。 私は神と一体であり、時間も空間も重力さえも我が掌中にあり、私は愛であり、光であり、喜びであり、限りないパワーであり、無限の智慧でありすべての知識であり、自由であり、完成された真の自分であり、永遠に広がり続ける生命そのものであります。 限りなく真実を思考する心や私の本来の愛と喜びの感覚、若返り再生された私の肉体は永遠の生命であり、全体との完璧さを失わず永久に神の表現者として美しさと強さを増し続け、そして健康と活力と喜びの中で二千年でも三千年でも好きなだけ輝き続ける事が可能であり、この地上を去る時が来たときにはこの身体と共に光に包まれ光の中に消えていくことになります。 何十回と無く生まれ変わり立ち替わりこの物理次元の人生という虚構の価値観の中で様々な喜怒哀楽を体験し続けてきた事で、真実を遮る牢獄に自らを閉じ込めてしまい自分が聖なる光であり、神そのものであり、創造主である事をすっかり忘れて、そこから抜け出すには自分はあまりにも無力であり何も出来ないと思い込んでいる姿は滑稽でもあります。しかも、これまでの自分の人生のすべてを自らが思考し、創造して、自分自身を自らが体験した一人舞台であったことさえ気がつかない始末。

今、そのような虚構の価値観によって支えられているこの世界のシステムや価値観が根底からくつがえされ浄化されていくことによって虚構の世界そのものが消えていこうとしています。

これまでの人間世界の神から離れた価値観、自然との不調和、争い、憎しみ、略奪、比較、貧富、上下関係、支配などあらゆる死を前提とした価値基準が大自然の法則と、神々の働きによって消され始めています。これまでの人類の長い歴史の価値基準やそこに基準を置いた世界のシステムは新しい地球の波動とは異なるために維持することができなくなってしまうのであります。 それが様々な天変地異、世界情勢の混迷、様々な疫病の発生、人心の乱れなどに表れ始めています。

今、人が気付かねばならない最も肝心なことは自分の元なる神と共に歩み始めなければ未来永劫現在の人間以下の存在として生きる事しかできなくなる事。今、このチャンスを逃せば船出の桟橋に一人残され途方に暮れる運命を後悔しても死ぬことも出来ず墜ちて行くことになります。 それが自分中心、我良しの体主霊従の動物人間の生き方の末路となることを知れば、今と言うときの大事さがわかろうというもの。 既に経綸神界の神々の働きによって長きにわたったこれまでの地球人類の歴史は終焉を迎えるのであり、その兆候は様々な様相を呈してきているのはよほどの惚け者でなければ薄々とは感じているはず。明日は我が身となる事も知らずこれまでの人生の過ちを知らず、神を無いがしろにし、神を疎んじ、神への冒涜とも思わず物欲中心、我良しの世界を常識として「もっとも深甚なる神への裏切り」とも知らず、やりおおせると思うほどのおごり高ぶり。 幼稚な人類の科学や知識に頼ることがどれほどたわいなく崩れ去る楼閣と知るのもわずかの時なり。 今、大事な事は、神の経綸の成就に向かっているという認識。 絶対なる信頼を持って全てを神にゆだね、全て神のために、神と共に働き、神の喜びが我の喜び、神の弥栄が自分の弥栄、自分は神の表現者、自分は神の担い手、自分を通じて神が働くのであり、我欲執着を離れて神の中に解け入る事、常に神と共にある自分を認識する事が重要であります。 そして真言、祝詞、神示、言霊、神の波長、波動とともにある時間を多くしていく事で洗脳が解かれ自由無碍なる神の創造へと誘われるのであります。

真実への道しるべ(朗読編)

「神から人へ」一二三ともこ著より
1999年9月2日~同11月30日までに、神界から「地球人類」に降ろされた、人類の始まりから、今わの際に立たされた人類救済の書ともいえる内容です。 ​その、一部を紹介しましょう。
神から人へ上巻.JPG
​神、その国を創られし初め、人は皆、美しく、清らかで、心正しき者ばかりなりし。 なれど、おのが欲望の奴隷となりて、、、、ついには神の怒りに触れることとなりし。 、、、、、、残されし時はいよいよ短し、救われる魂を、一人でも多く増やし、次なる世を作り直すための魂を増やされよ。
上巻9月2日
00:00 / 07:22
1999年9月3日
00:00 / 12:33
1999年9月4日
00:00 / 09:24
下向き矢印.JPG
​上巻は90話くらいまで続きます。 より聞きやすい音声にしていきたいので、良い音源があればご教授願います。
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​<人類への緊急メッセージ>
聖  戦

最後まで見ていただけますよう。 そして、このメッセージの内容の重要性を理解できる人々とともに新しい未来を築いて行きたいと思います。

賛同いただけます方との通信網を構築したいと思いますのでショートメール、LINE、メール、電話などの連絡先をフォーラムの中でお知らせ下さいね。

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​<もし、何でもできるとしたら>

そう、自由自在に何でもできる、何にでもなれるとしたらどんな人生にしたい? 大人たちはほとんどがそう思っていないから考えたこともない。 子供の頃は何もわからないから、素直にあこがれるものになりたいといえます。 ということは、自分が思う最高の人生に向かっていないし、体験できていないということです。 そして、そういう自分の最高実現した世界に向かうことも、考えることもできていない状態にあるといえます。 妥協の産物が今の自分か、不満足ながら惰性的に生活しているか、周りと比べてそこそこ頑張った成果と認識して生きているか、不安にさいなまれながら葛藤の中の生活が慢性化しているかというような人生に対し、スッキリ、爽やかな晴れ晴れとした、上天気で上は青天井で希望に満ちた明るくやりがいのある人生」という人は極まれではないかと思います。 お金があって裕福でも不幸はたくさんあります。 病気、離婚、子供との軋轢、家庭不和、失うことへの恐れ、仕事によるストレスと不自由、現在の生活や安定を守るための気苦労などなどキリがありません。 逆に、貧しくても「思いやり、やさしさ、気遣い、感謝、親切さ、幸せ感と満足感に満たされて生きている人もいます。 しかし、それも貧しい中に於ける達観した世界というのでしょうか望んでそうなる人はいないのではと思う世界です。 どちらにしても、中々思い通りにはいかないのが人生のようです。 ただ、お知らせしたいことは、「人生思い通り自由自在に生きられる」ということなのです。 何故かというと自作自演の劇を演じている主人公が自分だという事 そして、神の子であり、宇宙を創造し続けている創造主の子であるという真実を知れば自ずと「確かに!」ということになります。 その真実の自分に目覚めること悟りといいます。 悟りを得るのではなく、悟っている自分に気付くだけなのですよ。 迷いや幻想から目覚めるだけなのです。 目を覚ませばいいだけなのです。 問題は、そこに至るためには我欲、執着、欲望、願望、現生の価値観から離れることからしか真実は見えてこないということなのです。 嘘偽りの城壁に囲まれてそこに閉じこもっていては真実は見えてこないのです。 さあ、新しい世界へ一歩踏み出しましょう。 そこから先は神とつながります。

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​<今、大事な事>

それは、残された人類の時間が少ないから、真実に目覚めること、真実を知ること、この世の価値観や常識が真実から遠く離れていることを知ることです。 でも、それって、ほとんどの人が常識の中で生きているのだから誰に聞いてもわからないし、変な奴と思われて警戒されることになるから聞けない、知ることができない、だれも教えてくれない。 ネットの世界ではスピリチュアルや都市伝説や、大自然の災害や宇宙人の話で盛り上がっているけど、でもどれが真実でどれを信じればよいのか、それらにしたがって良いのか不安が先に立ちます。 何故かというとそれらの情報を正しく判断する基準を持っていないからです。 社会の常識とはとんでもなく離れた世界の情報ですから不安になるのも、疑心暗鬼なるのも無理はありません。 はたまた、宗教に入るのも、洗脳されたりいろいろな教義や修行やおかしな世界に踏み込むことになったり、宗教勧誘や選挙に駆り出されたり、様々なものを買わされたりという世界です。 では、どうしたら真実の世界を知ることができるのでしょう。 もっとも簡単なのは自分が目指す世界や教えの書物に出会うことです。 これだと思える書物、これだと安心して納得できて、腑におちるし、この教えを実践できるしやってみたいと思える書物や、人に出会うことです。 違和感なく抵抗なく入っていかれる、心が安らぐ、求める真実に触れることです。 そして、真実というのは知ることで、簡単に納得できてわかることですし、つらい修行や、お題目を何年も唱え続けて悟りに入れるか入れないかなどという世界でもありません。 でも、それにはまず、求めることが大事です。 守護の神霊に、ご先祖の中の徳の高い魂に、産土の神(近隣の神社)に、信じる神がなければ「天之御中主(アマノミナカヌシ)の神様」にお導き、お計らい宜しくお願いします。 と真摯に祈れば喜んで出会わせてくれますよ。 何故かというと真実の神々や高次元の存在は気付いてもらいたいからです。

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​<人類の未来>

現人類の古さは旧石器時代で3万5千年くらいでしょうか。 唯一、日本から磨製石器の大量出土によって最古の人類の痕跡が見られます。 そこのあたりから今の人類の文明が始まったのかも知れません。 新石器時代、縄文時代、シュメール文明、エジプト文明や黄河、メソポタミアなど。 最初の人類はアフリカに発生して、世界に散っていったというが、どうもイマイチしっくりこない。 そもそも引力とは何かさえわかっていない。 光の速さが最速というのも怪しいし、物質は質量があって初めて物質というのも変だし、猿から進化した進化論もおかしいことだらけ。 もし、猿から進化したなら人間に進化途中の猿がいないといけない(笑)。 旧石器時代の前に先進的な人類が存在したのか、また、古代の核戦争の痕跡としか考えられない遺物もあります。 またプラトンの語った約1万年前のアトランティスという大陸が沈んだ話しも、縄文時代が数万年も平和にくらしていたのを考えると、たった1万2,3千年前に沈んだとは思えない。 まあ、何度も滅びてやり直してきた人類の歴史だろうと推測できるし、気の遠くなるような宇宙の歴史の継続から見ても、地球の創世や人類の創世のときがあったはず。 そして誰が何のために人類を創ったのか、亡ぼしたのか、そして今、新しい人類が羽化登仙するがごとくサナギから脱皮して美しい蝶に変貌して新しい人類の歴史が始まるのか壮大な宇宙のドラマが展開されて行くのだと思います。 どうぞ、一人でも多くの人々が新しい未来の地球に渡ることができますように。 そのためには未来の地球とともに歩むという意志が大事です。 古い地球の概念を現実と見て執着していると船出の桟橋に取り残されて途方に暮れることになるかも知れません。  新しい人類の未来とはどういう世界なのかではなく、どのような地球にしていきたいのか、どのような人類にしたいのかという積極的な創造に参加する事が求められている「今」と思います。

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​<新しい世界に生きる2>

この地球人類のほとんどがお金のために働き、お金のために様々な事件が起き、お金のために、自分の欲望を満たすために様々な事、ものを犠牲にして生きています。 神への祈りとか、神への感謝とか、自然や、地球や、人類はどうでも良くなってしまうのだと思います。 自分のやりたいように生きるためには努力を惜しまないので、その分、他のことには注意が向かないとか無関心になってしまうものです。 しかし、その有能さとか才能というのは、地球や宇宙や、神の基準から見ると逆に最も忌み嫌われる価値基準かも知れません。 何故なら全ての不調和の原因となるからです。 そのような世界に支配されて生きるしかない大半の人々は、それを疑問とも思わず、そういう世界に組み込まれて生きる事になります。 そして、そこから抜け出そうとか違った生き方、もっと素晴らしい生き方があるのではないかという疑問も抱かずに人生を終えて行きます。多かれ少なかれ、そのような人生を常識として受け入れているのだと思います。 しかし、それだとやはり神の目から見ると「何というもったいない生き方、怠惰な生き方、哀れな生き方、無駄な生き方」と写るかも知れません。 何故かというと、「神は人間にそのように生きなさい」とは言わないからです。 そもそも、神の子でありながら神とは無縁の生き方だからです。 人は、自分というものの本質に気付いていないのです。 その本質に気付いた者はそのような人生は受け入れがたく、従う必要も無く、気付くまでの長い人生を無駄に過ごした後悔と、神へのお詫びと、更なる神への気付きを求めるようになります。 そして、あらゆる可能性や目に見えない世界からの導きや、援護を受けて「嬉しく、楽しく、有難く、光と希望に満ちた世界」へと踏み込んでいくことになります。 「何でも出来る、どうにでもなる、あらゆる選択肢がある、夢と希望に満ち、神に守られ導かれている安心感の中で生きる事が可能となってきます。 それは本当の自分に出会う事ではじめて可能となるのです。 そのためには、、、、、、、、、次回に続く

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​<新しい世界に生きる1>

今までの生き方、人生観、現実を鑑みたとき、夢とか希望とか、素晴らしい未来を思い浮かべることが出来ません。 ロシアとウクライナの戦争を見ても、いずれは日本も巻き込まれると思える情勢だし、核戦争の恐怖も在り、世界中の支配者達が目指す世界は「我良し、収奪、独り占め、他を支配し、自分達だけ良い思いをしよう、自然を破壊し、自然から益々離れて行く欲望の世界、弱肉強食の世界」に向かっているように見えるのです。 そして、それを容認し、何とも思わない人々、おかしいと思ってもそういう世界に従う人間の群れという構図の中で、素晴らしい未来や希望が持てるはずがありません。 このような世界で苦しむのは、生活の苦しい者達、従う事でしか生きられない人々、虐げられた動物たち、壊され続ける地球という生命体。 これも神の計画、経綸なのか、神の世界なのかとやるせない気持ちになりますが、確かに神一元の世界であり、神しか存在しない世界なのですが、善悪は人の価値基準、実際にあるのは陰陽の表れの世界であり、神から放たれた自由意志を持った光の子達が、神の子である事を忘れた創造の世界であって、神が望んだ世界ではないという事だと思うのです。 だからこそ、そのような世界は、他の高次元の生命体にとってもゆゆしき問題であり、「金で支配し、金で世をつぶし、弥勒の世界へと誘う」というしくみが発動されて、今、それが進行しているといえます。 すると、金で世をつぶすのですから、つぶされる者とは「金に縛られ、金に執着し、金に価値を見出し、金を追いかけ、金がなければ生きられない、金のために人生の大半を費やす者達」という事になるのだろうか?  たしかに金がないと生きられない。 乞食や物乞いやゴミをあさって生きなければならなくなります。 かといって死ぬこともできずという恐怖によって支配されて動かされているとも言えます。 じゃあ、どうしたら?というのは次に続く、、、、。

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​<宗教について>

人類と宗教の関係というのは切っても切れない関係とも言えます。 遙か原始宗教、アミニズムから膨大な教義に裏打ちされたキリスト、イスラム、仏教、そしてヒンズーやバラモンといった気の遠くなる深淵の世界。 或いは神道などアミニズムを主体とした教義もなく、教えもない多神教など様々ですが、どの宗教に関わるかによって多様な異なった世界観によって、それぞれの人生を歩むことになります。  そして、それぞれが相容れない異なった世界であり、他を認めないというナイーブな問題を発生させます。 正義と信じて、唯一の神と信じていれば、その者にとってそれが全ての基準とか正しさの基準となるのだから、異なった教えや、考え、行いは誤りとなり、異端となり、終わりのない不調和を生み出します。 つまり、大調和した平和な世界を奏でるのは無理というのは誰が考えても無理なので、できるだけ棲み分けして関わらないようにする事しか出来ないという事になります。 まあ、それで今の世界になっている訳です。  しかし、それぞれの国に於いて、それぞれの主体とする宗教がありながら、平和で秩序があって、思いやりや親切さ、気遣い、寛容の精神のあふれた国にはなれていないというのが今の世界です。 結局、宗教に固執すればするほど分離、争い、不調和から抜け出せない事を意味します。 だから、これからの未来へ導く神は「宗教はなくするぞ!」と言っています。 無宗教者が多く、特に宗教を意識していなくても神を重んじ、神に祈り、参拝に行く人々は、無秩序ではなく、最も親切で、気遣いがあって、思いやりのある社会を形成している日本の社会というのは、人類の未来にとって非常に重要な意味を隠していると言えます。

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​<地球の歴史と人類の未来>

宇宙の無限の時間軸に於いて地球だけ存在したり、人間だけが存在したりする事はあり得ないのであり、地球や人類が生まれる以前があり、その時でも他の生命体は居て、他の星も存在して今と同じように宇宙は存在していたはずです。 白黒テレビの時代に映像が空を飛んでいないのにどうしてTVが見られるの?カラーテレビのカラフルな色つき映像が見られるのにどうして空が色だらけにならないのか、熱もないのにどうして電子レンジで調理できるのか、ましてや鎌倉時代に飛行機で世界中を旅行するなど夢想だにせず、それ以前にガリレオガリレイが地球が自転しているという真実を発表して反社分子になってしまったり、キリストが真実を伝えようとして磔にされたりします。 つまり理解できない世界、知らない世界、見えない世界、嘘のような本当の世界や不思議な世界が無限に存在するのですが、それを知る者、語る者は未開な者達の常識に合わないと排斥されるのが常という現象が起きます。 今、起きようとしている事や、新しい世界を知る者や見ている者にとっては普通のことであっても、知らない、見えない、わからない、変わりたくない人々にとっては「自分達の安寧(あんねい)を破壊する者、自分達の平和を壊す者として写る事になります。 自分達のこれまでの基準が間違っているとは思いもよらないし、変わりたくない、知りたくない人々が大方なのです。 何故なら、この地球をコントロールし、支配している者にとって、人類の目覚めや覚醒や気付きというのは支配が終わるとき、自分達の安寧が壊れるときであり、自分達が排除されることになるのを知っているからです。 支配者達とそれに加担する者達は、それ故にマスコミを使い、教育を使い、医療や、政治やお金や宗教を使い人々が気付かないように、目が覚めないようにしているのです。 そのような洗脳された虚構の価値観や世界観を現実として見ている者にとっては、地球を誰が作ったのかとか、人類は作られたという話しや宇宙の同胞の未来人の話しは、自分の利益と関係ないし、今の生活にとって役に立たないから拒否したり排斥することになります。 だから真実を知りたい人には必要な情報となり、そうでない人達には毒となる情報といえます。 また、人類の進歩向上発展と宇宙人との関わり、神々の世界からの人類の方向付けや導きの地球の歴史という観点から、新しい人類の未来というのは、神の光で透き通るので嘘や、思いが見え透く世界となり、虚偽や波動の低い想念は皆から見透かされて、恥ずかしい思いでいたたまれない世界となり、無限の無料のエネルギーによって奪い合う必要もなくなり、独り占めする事も無く、生命全体のために、地球のために、宇宙のために活かされていくこととなります。 だから、「夢と希望とあらゆる可能性」に満たされ、喜んで「自然と共に、地球と共に、宇宙と共に」向かいたいと思うのです。

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​<神の世界体験>

私が体験した神からの印。 もう数十年も経つのに脳裏に焼き付いていて、その時の光景がいつも思い浮かぶのです。 それほど強烈な印象だったのだと思います。 あり得ない世界を見せていただきました。 ある曇りの日に家内と一緒に原宿にある明治神宮に参拝に行くことになっていて、雨が降らないといいなと思っていたのですが、「きっと明治神宮に着くと晴れるかもね」という話しをして明治神宮に着き、駐車場から参道を歩いて鳥居を過ぎ、だんだんと厳かな心境になって行き、手水で手や口を浄めて本殿への門をくぐった瞬間、晴れ間が出て、太陽のまばゆい光が降り注ぎ、見る間に空が晴れ渡っていきました。 いつも参拝する時にはそのような光景に出会う事で歓迎してくれているのを感じるのですが、この日ばかりは違っていて、太陽が出てからは突然、見るもの全てが輝き始めたのです。 空気さえも透明の光でキラキラしています、社殿も、門も、人々も、石畳も木々も見るもの全てが清い聖なる光の世界となってキラキラ輝いているのです。 生まれて初めて見る光の海の中で感動に包まれ、言葉も失い、ただただ「美しい、綺麗、凄いなぁ」と。 そして、明治神宮の神様有り難うございますと心の中で唱えていました。 それは、本殿の広場から出るまで続いていたのでした。 明治神宮の神は、高次元の神の世界と繋がっているのだと実感した次第です。 この神宮は世界中の人々が参拝に訪れ、浄め祓い浄化を願う聖域だと思うのです。 人間の欲望渦巻く願い事をする場ではなく、あらゆる欲望、罪汚れを祓い浄めていただく事で神の光をいただく宮なのだと。

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​<次元上昇2>

いま体験している世界は五感に感じられる世界、つまり、思い考え想念や意志を物理次元に投影した世界を時空の概念の中で現実として認識している世界とも言えます。 そこに存在する生命体は同じ人間という種族や他の動物や植物たちなのですが、人は自分が見ている世界と同じ世界を皆同じように見ていると錯覚しています。 人、つまり動物人間の脳の働きでは同じ人間なのだから同じように見えるはずなのですが、実は人によって同じ景色も美しかったり、雑多無秩序に見えたり、もの悲しい風景やありふれた無感動の景色に見えたりします。 それは人を見るとき、人を判断する時も同じ事が起こります。 結婚式で祠祭を努める神父さんを敬虔なキリスト教徒に見ているか、邪悪な守銭奴に見えるか、結婚式用のただのアルバイトのおっさんに見えるか、人それぞれ見ているものが違います。 それは全てに於いて違うので、様々なすれ違いによる人間模様を作り出します。 それは見方、聞き方、感じ方、言葉の意味の深さ、その時の心の状態などによって変わってきます。 それらの違いによって、人生の現れ方、住む世界が異なっているという事になります。 そしてより高次元な世界というのは、それより低い次元からは見えないような設定になっています。 だから、見えないし感じられないから無いというものではありません。 そして高次元に向かうと言うことは、わからない世界、見えない世界、未体験の世界、より素晴らしい世界に向かう事であり、それは希望と光に満ちた世界であると信じて、その導きに身をゆだねる事でもあります。 それには、これまでの価値観や概念や執着から勇気を持って離れる決意が試される事になります。 だから、そういう仲間達と共に導きあい、助け合い、協力し合って歩む事が大事になってくると思います。

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​<次元上昇1>

この自分が生きていると思う世界、感じる世界、それを現実として認識している世界は、様々な喜怒哀楽を体験でき、弱肉強食が支配する自然界の法則に支配された世界であり、人は死に到るまでの数十年を、如何に裕福に、豊かに、安心していきられるように努力をして、成功や失敗や争いを繰り返しながら様々な体験をして死に向かって生きています。 そのような世界を3次元世界、物理次元としています。そして、それを普通として、常識として、現実として、そこをベースに生活をしているために、それ以外の世界は非現実であり、夢、幻想の世界として常識から外れるために、警戒したり、排斥したり、仲間はずれにしたりという傾向を見せます。 でも、人は、世界は、そして全てのものは変化流転するのが宇宙のしくみであり、どこに向かって変化しているかというと、より高次元な世界へと向かうのであり、そこに向かう事を「成長」「進化」「昇華」といいます。 人類も、地球もすべてが高次元に向かう時がいま訪れているのですが、それは何を意味するかというと、この世界を常識として変えたくない人々にとっては悪夢であり、最後まで抵抗して、全てを失うところまで執着していきます。 何故なら、今までの常識の中で他よりも優位に良い生活、豊かな生活、物理次元に於いて他を支配したり、隷属させたりしてきた人々であり、我良しの世界の上位に君臨することに努力してきた人々、或いは、この3次元世界で優位に立てる能力をもった人々であるからです。 しかし、豊かな者も貧しい者も、支配される者も上に立つ者も、すべてが変化しなければならない時を迎えています。 その変化の先は「素直さ、謙虚さ、純粋さ、優しさ、思いやり、愛、喜び、平和、自他愛、自然との調和、神への帰依」を常識とする世界であって、競争や我欲、自分優先、ねたみ、そねみ、恨み、つらみ、他よりも優位に立とうという意識を持つ者とは相容れない世界に向かうと言うことです。 これまでの価値観に縛られている者たちが多い世界で、それに同調する事無く、戦う事無く、巻き込まれない生き方、ジャッジすることなく、同じ神の子として存在する事が赦されている事を理解し、自分の成長にとって必要な存在であったという理解が大事と思うのです。 ジイなどは排斥され続けた人生だったように思うけど、今、やっと受け入れられる世界が近いと思うこの頃です。

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​<神の世界>

人類の誕生のはじめより人と神との関わりや、人の神に対して敬う気持ち、畏敬の念は様々な形となって現在に存在し続けています。 人類と神との永遠のつながりが様々な時代に於いて形を変えながら在り続けるものであると言えます。 さて、その神との関係ですが、本来あるべき関係は崩れ、人は人の価値観で神を見ており、せっかく感じた神息吹や神の光や様々な現象も、教育による知識や洗脳による価値観によってゆがめられて解釈されてしまいます。 つまり、色眼鏡を掛けたまま自然の彩りを感じたいと体験努力しても、結局は、色眼鏡の色に汚染された色彩しか見る事は出来ないのです。 そこで、どうしたら真実の神に出会えるかというのは、色眼鏡を外さなければなりません。 その色眼鏡とは、誤った価値観や教育、宗教、風習、習慣、様々な人類の常識や洗脳媒体のTVや新聞、宗教などから離れて、自然と共に歩む、自然に守られる、神の価値観、真実を伝える環境に身を置くことで徐々に洗脳が解かれ、真実を見る目が養われてきます。 真実かどうかという正しい価値基準を身につける必要があります。 それは宇宙や自然との共生を基準とした実践の中からしか学べないのです。  宗教は堕落し、様々な嘘も本当も織り交ぜて訳がわからなくなってしまうようなものではなく、神に守られ、自然に守られているのを実感できる学び方が大事なのです。 自然と共に、神と共にある嬉しさ、希望に向かう輝きを体験できる生き方ということです。 社会の基準、政治の基準、お金の基準、 物質的な豊かさの基準、自分中心の基準などほとんどゆがめられ間違っているのに、間違っているとは思えない常識の中で生きているのです。 まずは、そこに気がつくことが大事です。

​ブログコーナー
​<過去現在未来>

非常に身近でありながらロマンのある不思議な課題であります。 あって無いような、長く感じたり、短く感じたり、あっという間だったり、夢の中では何十年もの人生がたった数分で体験したり、夜空の星の光が何百光年という以前の光を見ているんだと言われてもぴんとこないですね。 人生も鎌倉時代に織田信長の舞った唄の歌詞に「人生50年、、、」というのもあるし、私が子供の頃は55歳とか60歳で結構他界されていたものです。 それが今や80歳が平均寿命で90歳はざらにいてという時代です。 また、長い人生も生きてみれば遠い昔もあっという間に過ぎ去って、つい数年前のように思われたりもします。 そして、意識しているのは「今」という概念。 今も瞬間的に過去になって行き、未来はまだ来ていないという世界です。 「肉体人間の脳の働きや、五感で感じる世界では」と置き換えることも出来ます。 すると、人間とは異なった生命体では異なって見えるし感じるという非常に不確かな、どう感じるかという世界でしかなくて、現実的には今しか存在していなくて、過去も未来も、今の中に展開されているのかも知れません。 であれば、今の自分も過去の自分も未来の自分も同時存在しているから、過去の自分に会ったり、未来の自分に会ったり、未来の自分から現在の自分にアドバイスしたり、過去の自分に出会って過去の自分が体験するであろう未来を教えたり、未来に影響を与えるという事も可能と思えるのです。 そして、今の中で、遙かなる時の体験の積み重ねによって今が変化し続けているだけではないのかということになります。 でも現実的には自分の体は生まれて死んで、また生まれて、体験し続けていく事なのですが、しかしですよ、別な見方をすれば、生まれる前に、様々な経験を積んだ自分があって、ある時、こんな人生を体験したいと強く望んだら、ぱっと場面が変わってオギャっと生まれた自分がいて、そのような人生を歩み始めるという「自分が主人公の人生ドラマ」が展開されるということは、自分はどこにもいかなくて、その場で人生催眠術に掛かって死んだら催眠が解けて以前とは変化した自分がそこにいた。 このほうが真実と思えます。

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​<霊の世界>

​一般的には「幽霊の話しかい?」となるのかも知れませんが、目に見えない意識体、霊的存在といい肉体を持ってなくて意識や意志があって人間に対して何らかのアプローチをしてくる存在と言うのかも知れない。 しかし、どちらにしても明らかに存在しているし、幽霊は何度も見せられているし、幽霊ではなく魔界?エクソシストの世界も確かに体験したよ。 恐ろしいイヤーな臭いが立ちこめた空間が現出します。 はたまた、ご先祖の霊や守護の神霊の霊などは友好的で、親切さ、優しさ、思いやり、そして本人のために敢えて厳しい状況を作り出したり、危険から逃れさせたりもしてくれます。 そして目に見えない意識体というのであれば、宇宙人なども目に見えないし、神社の神様や神の遣いの白蛇や竜神なども目に見えない。 それらが見える特殊能力のある人間には見えるらしく、それが龍の姿だったり、UFOだったりします。 もっとも身近かなのはご先祖様や守護霊といわれる存在ですね。 しかし、問題なのは悪意を持った霊達、或いは迷っている霊達、助けを求めてる霊達、人間に取り憑いて様々な悪さをしてくる霊などがあります。 そのような霊現象に対して、人間達は対処が出来ずに苦しんでいたり、高いお金を払ってお坊さんや霊能者と呼ばれる人達に除霊をしてもらうとか浄めていただくというような対処をします。 成功する場合もあれば、一時的に良くなっても結局、元の木阿弥ということもあります。 はたまた、交通事故に遭ったり、病気になったり、体の痛みや異変や、不安とか、様々な障害となって現れてきます。目に見える世界しか相手にしていない社会のシステムでは、何も対処できないし、誰も助けてはくれない、わかってくれないという厳しい状態におかれているのが現実です。 まずは、そういう状況を自分が引き寄せたという事を理解して、自分が変わる決意が必要となってきます。 

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​<認めたくない真実>

​中国で新幹線を真似た高速電車が早速事故を起こして世界的な話題となってニュースを騒がせたが、それをあろう事か中国は人もろとも地中に埋めて無かった事にしようと実行してしまった。 日本の女王卑弥呼は有名だが、どこにもその痕跡がない。 古事記にも日本書紀にも出てこない、瀬織津姫というアマテル天皇の姫も大祓祝詞にしか出てこない、しかも蝦夷の女神として流布されています。 祝詞に出てくる大倭(おおやまと)日高見の国と痕跡を残す日高見の国って?という歴史の改ざんは枚挙にいとまがありません。 それほど人間は自分達が行ってきた残虐非道や、不都合な真実を認めたくないし知られたくないものである。天皇陵の調査を行えば何が出てくるのか、コロナ後遺症の隠蔽しかり、テレビも新聞も、政治も、歴史もあらゆる分野で嘘や改ざんがまかり通っているのが人間世界というところ。 キリストが磔になったのも、無限エネルギーが出てこないのも、地動説や進化論や、光より早い物はないとか、果ては竹島は韓国固有の領土とか、イラクフセインは悪の枢軸で核開発を行っているとか、、、、結局、嘘だった。 信用貨幣という紙幣もすきなだけ印刷して、しかも民間企業がドル紙幣発行権を持っているとか、世界中の石油はドル決済以外認めないとか、日本の何十倍もの放射線を垂れ流しにしている中国や韓国、フランスなど、中でも先の2国は自分達を棚にあげて日本の放射能で水産物の輸入禁止措置をするなど暴挙、嘘の流布など恥も外聞も無い先進国や政治家達や時の権力者達。そして真実は隠蔽され、支配者達に都合の良いように教育され、洗脳されモルモットにされ、個人主義やお金や物、宗教、恐怖、マスコミや政治によってコントロールされているのが人類の姿です。同じように、自分という存在の真実も気付かないようにコントロールされているし、社会構造がそうなっている事で、そういう大事な事に気付かない、興味が無い、無関心、無気力、「今だけ、金だけ、自分だけ」という価値感に支配された人類の未来って素晴らしい未来になりえるの? それさえも興味が無いかも、、。

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​<病気について>

​大自然の中で生活する動物たちに人間特有の様々な病気はありません。 例えば、糖尿病、近眼、胃潰瘍、心筋梗塞、癌、腎臓病など様々ですが、人間と共に家の中で生活する動物たちは人間と同じ病気を発症します。 つまり、病気となって現れるのですが、本来病気にはならないのが自然と調和した生き方であって、様々な人間社会のストレスや、暴飲暴食や、自然に反した生き方や思念によって、本来自然と共にあってこそ正常に働く機能に変調を来し、陰陽のバランスが崩れてしまいます。 それを警告するために現れる様々な兆候を無視して、病気の原因となる生き方を変えないことで益々病気が本格的に現れてきます。 全てに於いて因果の法則が支配している事も知らず、病気の原因に向かわずに西洋医学の切った張った式の医学に頼る事になります。 臭いの元を絶たずに、臭い消しで対処しようとするに似ています。 医療の素晴らしさを否定しているのではありません。 例えば、癌の原因を正さずに切って治っても、また再発したり転移したり副作用によって更なる病状に苦しんだりという事が起こってきます。 人間は本来自然の子ですから、自然治癒力や自然の完全さを信頼すべきなのですが、そうじゃないものに頼ってしまいます。 自分を生んだ元を信頼しないと正道から外れることになり、不調和や不完全が病気となって現れます。 

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​<自分とは>

​人間として生まれて、この最も重要な課題をないがしろにすることで、羅針盤のない航海に出ることとなります。 そもそも、誰が人生を生きているのか、誰が何をしようとしているのかが不明だったり、勘違いしたまま突き進む事になります。 「自分とは何か」という事をしっかりと認識する事ではじめて土台がしっかりしてくるのです。 今からでも間に合うのでついてきてくださいね。 訳のわからない人生を生きるか、しっかりとした基礎に裏打ちされて未来を生きるのか、或いは、嘘やまやかしだらけの価値感に洗脳されずに人間として正しい道を歩むのか、今まではなおざりでも何とかなったけど、今回ばかりは未来永劫やり直しのきかない後悔となりますからきちんと理解すべきと思います。 正に自然の一部分を自分といいます。 宇宙の一部分、神の分身、分霊、分け御霊ともいいます。 決して、肉体のことではないのです。 肉体は滅びても自分は滅びないのを知らない人達が自殺をします。 死んでも死なないことに気が付きます 。 肉体は借り物であり、その肉体に宿って様々な人生を体験できる優れた乗り物ですが、多くの人達が、その乗り物を自分と思い込んでいるから、そこで感じられる世界を現実と勘違いしてしまいます。 だから、真実を知らなければ虚構の世界へと迷い込んでいつまでも抜け出せなくなるのです。 いつまでもです。

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​<生きる意味って?>

​若者達はよく自分捜しの旅>に出るよね。 何故かというと自分が誰か、どこから来たのか、どういう存在なのか、何のために生まれてきたのか、人生の意味とは何か、生きて死んでいく目的は? 本当の自分とは、真実とは、人生を自由に生きるには、夢を叶えるには、病気の意味は、死んだらどうなるの、どのような人生を目指すべきか、などなど様々な人生の課題に取り組むために旅に出る。 でも、ほとんどの者達は答えを出せずにあきらめて年を経るに従い、もう旅に出る意味も気力も失って、それなりの人生を生きて死んでいく。 それでいい訳はないと思うんだけど、教育や洗脳されて騙され続けているからその思考パターンの中を堂々巡りするしかない事に気がつかないし、誰も教えてくれないからいつまでもわからないし出口が見えてこない。 そもそもだよ、誰も「自由自在に好きなように生きられる」などとは思ってもいないし、そんな夢みたいな事いってないでよく現実を見ろよ、足下をしっかり見据えて、現実に沿った生き方が大事だと言われてしまう。 ジイから見ると「その現実が虚構で洗脳の産物」と見える。皆んな嘘を教えられ、洗脳教育され、マスコミに騙されながら生きているから、嘘か本当か真実が見えないようにされてしまった。 学校やマスコミや社会常識か正しさの基準というのでは洗脳が解けない。 何千年も騙され続けているのだから、、、、。

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​<近未来に起こること>

それはね、簡単に言うと地球が知恵熱を出して大人になるってことさ。 だから今大きな変調が始まっている。 それが宇宙規模であり、地球規模の話しなのでそう簡単なことではない。 これまで遙かなる時を紡いできたこの人類、アトランティスやレムリアの時代に太平洋や大西洋にあった大陸が沈んでしまった原因は、知恵熱を出して大人になろうとしたけどなれなかった。 つまり失敗したのさ。 だから沈んでしまった。 それがノアの方舟伝説として残されている、しかし、何度もそういう事がありながら、人類はこれまでに6度滅びている。 そして今7度目の人類なのさ。 そして、今度こそ次元上昇に成功して新しい「宇宙文明を担う星」に変わろうとしているということだね。 だから、これまでの地球人類はこの地球という学びの学校を全員卒業しなければならないということになります。 何故なら、知恵熱を出す前の地球はなくなるからね。 それがどういう現象となってあらわれるかというと「カタストロフィー」自然や宇宙と調和しない全ての物が崩壊して行く様を見る事になる。 肉体は死んでも魂は死なないから大丈夫なんだけど、卒業してどこに向かうかは人それぞれ、類は友を呼ぶ世界に向かう事になります。 だから、今、人類にとって究極ともいえる大事な時を迎えている。 ほとんどの人は知らないし、関係ない絵空事と思うかも知れませんが、それでいい人はそれでいいですが、そうでない人がると思うからお知らせします。

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​<全ては自己責任>

​社会のせい、国のせい、親のせい、あいつのせい、会社のせい、洪水のせい、中国のせい、嫁のせい、市長のせい、彼、彼女のせい、政治のせい、、、まあ何でもいいけど、「すべて悪いことは他のせいで良い事は自分のせい」という人が多い世の中、中国も、朝鮮もよく「日本のせい」というでしょう。つまりすべて他のせいだから自分では何も出来ない、何も変わらないし変えられないと言っているのと同じです。上がそうなら下もそうなります。 上から下までおおよその人々が「他のせい」にして自分の人生を生きていると思って生活していますが、自分の人生にはならなくて他に支配された人生を生きている事に気がつかない。「人生とは自作自演の舞台を演じる主人公」という事に気付いた人がはじめて自分の人生を生きられる。

そして舞台が地球であり、宇宙です。 舞台装置は「宇宙の法則」「自然界の法則」。一人舞台で脚本も脚色も全部自分仕様だからどうにでもなる事に気がつく。

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​<自然と共に>

自然とは、宇宙を創造した存在の現れの世界をいいます。 つまり、宇宙の森羅万象すべてのあるがままの状態が現れている事なのです。 簡単に言うと神そのもの、宇宙そのものであるとも言えます。 もっと言うと宇宙大自然そのものであり、それ以外は何も存在していないのであって、その宇宙である大自然の中に人間も、植物も、鉱物も、地球も、太陽も銀河もすべてが存在しているのです。

そして、人類が生きられるように作られた地球の自然の中で、何一つつくれない人間が自然に生かされている事になります。 虫一匹さえ、生命の誕生や潮の満ち引きを左右している月さえも作れないし、心臓も、肺も勝手に動いているのだから、お膳立てされた自然の中で生かされているというしかありません。 そしたら、自然を無視したり、無関心だったり、敵対していて守られるわけはないし、自然を味方に付けることもできないし、守られると思う方がおかしい。 自然から離れれば離れるほど不調和、不完全が現れます。

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<​世の中変な事だらけ>
  • 教育って何を教えているのか、まずもって真っ新な子供をある意図を持って洗脳し始めるのですが、どのような人間になってもらいたいのかが不明です。 そもそも、先生自体が人間を知らない。 歴史だって嘘を一杯教えているし、、。

  • 人間でありながら、何故「人間とは何か」を教えない。 或いは、人間の体について、病気について教えない。

  • 日本人でありながら、日本の歴史、日本の素晴らしさ、日本の他国にない良さを教えない。

  • 世界3大文明よりも遙かに長い歴史を持つ平和であった縄文時代の偉大な文明を世界に知らせないし国民にも知らせない。

  • 80%の国民に後遺症の不安のあるワクチンを打つように政府もマスコミも大騒ぎして、それに踊らされる国民って何も考えていないし、考える力も失われているのか、、、、。

  • これだけ医療が発達しても、病気が増え​ 続けるのは、解決する気が無い?

  • 日本の国の、歴史の、人々の、自然の、食の素晴らしさを隠そうとしているとしか思えない支配層の人々。 そして日本を貶めることに奔走する人々。それに踊らされて気付かない人々。

  • 除草剤や殺虫剤をまき続けたら、皆んな死んでしまたり病む事になるのがどうしてわからないのだろう。

  • マスコミが洗脳機関だとは民衆は思っていないけど、マスコミを支配してる者達はそれをよく知って操っている。

  • お金がないと何も出来ない、生活できない、病気になったら終わり、誰も面倒見てくれないという恐怖で支配される世界って幸せになれますか?

  • 頭が良いから偉くなって、お金が儲かるしくみの社会というそのものが変だと思わないかい。 昔からそうだということは昔から変なんだわ。(笑)

  • 頭の良い「悪い連中」に仕掛けられたり、騙されてもわからないのが政治や宗教や教育? いい人もいるよ。 でも主勢力にはなれないし、なる恐れがあれば淘汰されるのが今までの人類の歴史だけど、これからの未来は違うよ。

  • これからの日本が果たさなければならない崇高な役割についてだれも教えられないね、知らないし、経験しているものがいない。 どうしたら知れるかって、未来の人に聞くしかないしょ。(笑)

  • 国の借金が増えれば金利も増えるから、国民は、増え続ける金利を税金で払い続けるとしたら貧しくなり続ける。 証拠に物価が上がり続ける。 そもそも、お金は誰が印刷して、どこからお金が生まれて、国はどこからお金を借りてるの? よその国から借金している訳でもないし

  • 人口が減って、所得が低く抑えられていて、物価が高騰して、医療費も上がって年金受給年齢が上がって、つまり、お金のシステムそのものがダメって事になる? そうなるのは最初からわかっているのに、だまし続けられないほどのほころびが見え始めたって事かもね。 お金に支配されている世界だから、お金がないと生きられないからという恐怖。

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<​食料事情>

「衣食住足りて礼節を知る」といいますが、どれかが欠けるとは金欠状態になるか流通が滞るか、物がなくなるかという事だと思われます。 そういう状態が発生すると自分が生きる事が最優先になり弱肉強食の世界となり弱いと生きられなくなります。 農産物が様々な課程を経て食料となって購入すれば食べられるのではありますが、今、大きな不安材料として東海、東南海や東京直下地震が起きた場合、流通が遮断されるので、首都圏はすかさず飢餓状態に陥るという事になりますし、台湾海峡に有事が発生すると海峡封鎖となり38%しかない自給率の日本に食料が入ってこなくなる可能性が高いということ、また、自然災害や気候の変動で採れるはずの農産物が採れなくなる可能性。 また、限りなく物価が高騰していくので庶民には買えない食べられないものが増え、食費を抑える貧困層が極端に増え続ける事も考えられます。 そして農業の現場では、粒のそろった綺麗な野菜しか流通に乗らないので生産性が悪く、形の大きい物小さい物、形のおかしいものは流通に乗らないから売れない。すると、その綺麗な野菜は高くならざるを得ないし、農業生産率が低くなるので生産者も貧しく、高価な機械を買わなければ競争に負けるし、均一的な生産方法で、種を購入し、肥料や、農薬を購入して収益の少ない大量生産を行わなければやっていけないのだけれど、結果、土地に力がなくなり、農薬が蓄積され、それでも生産性の上がる遺伝子操作された種子やその種子にあった農薬を買わされ、ますます抜け出せなくなってしまう負の連鎖に陥ります。 そこから抜け出そうとすれば、種子法で自家採取の種は法律違反で犯罪者になるし、肥料を使わなければ生産力は落ちるし、形が悪ければ売れない。 庶民が形が悪くても味さえ良い健康野菜なら問題ないよといっても流通にならないから届かない。 そういういびつな社会が常識となっているので4,5年は苦労してでも食えるから大丈夫というくらいの資金力が無いと抜け出せない。国や、地方自治体や農協がこのようなシステムを推進しているのだし、その上には世界穀物メジャーや軍産複合体、薬品、金融、法律を牛耳っている者達が仕組んでいる事なので国もそれは逆らえないという状況なので、益々、国民は苦しくなる、、、、。

​で、どうするかって結論は出ているのだけれど、どうせ、いつかは死ぬのだから自由に生きてみようというコミュニティーが芽生えてきているようです。 

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<​新しい未来に生きる3>

多くの人たちが天候の異変に気付き始めて一抹の不安を抱き始めていますが、それが何を意味するのかにまでは思いが至りません。 また、ウクライナ戦争、イスラエルとハマスの戦い、中国の経済状況の悪化、アメリカのロシア関連した取引を行う銀行の取引停止や中国への関税強化によるドル離れの加速化、円安の進行による物価の高騰や日本の政治も羅針盤を失ったかのような一貫性のない場当たり的な醜態をさらしており、トランプ政権になった時の激震を考えると相当に混乱することが予想できます。 それに加えて、中台戦争や巨大地震の脅威が加わることになり、明らかに大変動の時を迎えつつあるのだなという感じがします。 それは現象的としてやっと具象化されてきたのであり、数十年前からそうなることへの警鐘はなされてきており、そのための「心の準備」や「生活の場」「生き方」と人類や地球が向かう羅針盤を持つ者にとっては、その時を見計らって対処しながら歩む人生となっているはず。 今となって気付くものはまだ良いとして、全く予想だにしない者、気付くことも、感じることもできない人々は、これまでの日常を生きることしかできないことになるので、金持ちも、事業家も、裕福なものも、社会的強者も地球が向かおうとしている未来とは逆の価値観を大事にするために最も厳しい状況に遭遇することになります。 「秋の日の太陽のつるべ落としのように沈んでいく」その時が訪れようとしていることに気付くものは幸いといえます。 その時に、何が起きるのかというのはすでに決まっているのであり、知らされるものには知らされていることなのです。 いつか起こるのではなく、もう来年再来年という直前に今、我らがいることを知らなければなりません。 もう誰にも止められない地球浄化の時であり、浄化されないと新しい未来は訪れないのです。 そこで、この自然界の意思に気付いたものはどうしたら良いのかについて話を進めてみます。

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<​新しい未来に生きる4>

つまり、それに気づいた人たちは、地球が向かおうとしている世界を知り、その方向へと人生の価値観、価値基準を変更して、それに自分を合わせて生きていくという決意を持って歩み始める事以外の救いの道は残されていないのです。 救いの道とは「肉体の生存と、魂の導き」であり、その道を選択しない者は浄化、淘汰されることになり、魂はこの地球を去るという事を意味します。 では、具体的に地球が向かう進化とは、残される人が歩む道の価値観とはどういう事をいうのか述べてみましょう。 まず、地球が向かう未来と異なった価値観とは、金儲け、我良し最優先、地位名誉、我欲、執着、物質欲、他者との比較で優位に立とうとする事、競争で負かそうとする事、頭の良さ、学位、出身校などを自慢する意識や価値観、他を蔑み、他を貶し、悪口を言い、他を見下し、他を嘲笑い、他を卑下し、恨み、つらみ、羨み、暗い想念、卑しい心、威張る、いじめる、他の不幸を喜ぶ、自分の価値観でしか物事を見れない、精神の向上、自分の成長を拒む、変化を嫌う、自分の価値観に固執して他を認めない、奪い、犯し、肉体の体を自分と思い、肉体をいじめ、傷つけ、他に厳しく、自分を甘やかし、目に見える世界しか見ていない、ご先祖様を敬うことなく、すぐに腹を立てる、怒りっぽい、気に入らないとすぐ不機嫌になる、顔や態度にだして見せてしまう、優しさ、思いやり、気遣いが薄く、人を大事にしない、人はどうでも良い、これまでの人生が続くと思い込んでいる、自然とともにという意識がない、自然に関心がない、今の文明や社会の仕組みを漫然と受け入れている、日本の国、地球、宇宙に無関心、人間としての生き方や人生に対する価値には無頓着、自己保身と、自己顕示欲。 と、まあこのような道を選択している人はすでに危ういことになります。 何故かというと、地球そのものが生命体であり、その意思に反するので地球から排除されるという非常に単純明快な理であり、それに気付かないほど曇りがひどいのだと気づきましょう。 これらの逆の道を歩むことが今、何よりも大事、お金よりも、仕事よりも、車よりも命よりも上位におくべきこと言えます。

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<​新しい未来に生きる5>

新しい地球に移行するというのは、4で述べた心根の者たちのいない世界となるので、これまでの地球人類とは異なった文明が始まることを意味します。 だから戦争はなくなり、軍事産業も必要なく、銀行もいらず、お金も必要なく、公害もなく、軍隊もなく、貧富の差もなく、奪われることもなく、犯罪もなく、貧困もなく、飢餓もなく、嫌なことを強いられることもなく、働かないと生きられないとか食べられないということもなく、自分のものという概念もなく、地位や名誉や有名や財産に価値はなく、病気も無料で治療が受けられ、支配されたりしたりすることもなく、非行もなく、自殺することもなく、ストレスもなく、年を取る必要もなく、死に向かう恐怖やそれにともなう金儲けもなく、だましたりだまされたりもなく、詐欺もなく、商売もなく、保険もなく、宗教もなく、というような世界が訪れます。 夢物語のような話ですが、価値観が変わるし、4で述べた人々が存在できない世界となるので、そうではない世界になるのです。 それが人類を導いてきた高次元の存在達の意思、意向、計画、導きであり、地球という生命体が目指す未来の星の姿ということでもあります。 今まではそうではない人々が力を持ち、人類を導き、支配してきたのでそのような弱肉強食の競争世界となっていて、弱者には厳しい人生という構図でしたが、それが今壊れ始めている事に薄す薄と感じ始めて、わかるものには明確にわかる段階へと突き進んでいるのが今という時、なにやら落ち着かない不穏な荒振りが目を引くようになってきています。 何はともあれ、時代の回り舞台は次の幕へと回り始めているので待ったなしの右往左往が始まります。 ですから、今までの常識から離れて、できるだけ自然と共に、自然を信頼し、自然に守られて生きる事を選択する時なのです。 すべてに「うれしい 楽しい 有難い 感謝感謝感謝」という思いと言葉、言霊(ことだま)で乗り越えて新しい未来に向かいましょう。

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​<世界を望む家>
The House Longing for the World.

​「世界を望む家」が何を意味するか問うと、脳裏に展開されてきたその意味はかなり深淵でした。 簡単に言うとポータルということです。 時空を超え、次元を超えて宇宙とつながる一筋の道。 その宇宙とは宇宙を創造し続けている存在であり、すべての根源、その元につながるポータルを意味すると。 つまり、このポータルとつながることで、この元から流れてくる叡智、愛、限りない無限の聖なる創造の力、自己の本質、使命、生命の本質、心理、宇宙の法則、これらの気付きやインスピレーションを受け取るとか、現在、過去、未来を超えた、物理次元を超えた聖なる世界へと誘われる事になってきます。 何故、今、このポータルが開示されたのかという事を述べますと、これまでの人類が終焉を迎え、新しい次元の世界へと移行しつつあるからです。 新しい世界に生きる者と、それを拒む者と、意識しなくても自然のままに新しい世界への移行を受け入れて進化していく者、意識しないまま地球大変動に巻き込まれて肉体を脱ぎすてて他の星へと移動する者に分かれて行く現実が起き始めているからと思います。 ですから、この聖なるポータルが富良野に隠されていた意義は大きいと思うのです。 また、様々な神示や預言書、都市伝説などで「三分残るかどうか皆さん次第」とか言われていますが、富良野の人口からして630人の人口に減少したら「村」にもならない寂しい未来となってしまいます。 まあ、死ぬのは、人はみな全員漏れなく死ぬのですから、早い遅いの違いやどのように死ぬかという違いがあるだけなので別に死ぬときは死ぬので問題ないですが、残された人たちが大変と思います。 一人でも多くの人が新しい世界へ残されるように、また死んだあとも迷わないように導く灯台の役割を担うものがなかったからともいえます。 ジイの朝の祈りは、毎朝欠くこと無く3時間ほど勤めていますが、この世に肉体を持つものとして、肉体を持たないご先祖様や過去生で縁のあった皆様への鎮魂の儀式や救済のための祈り、祓い浄めの御神事の重要さを意味しています。 そのため、数えきれないほどの御霊の皆様がこの祈りに参加されておられます。 それもこの「世界を望む家」と名付けたポータルの大事な役割と思います。 富良野が何故「聖地」なのかという答えがやっと合点がいきましたが、その

聖地としての証も存在します。 それは知る事を許された者だけに自ずと知らされる事と思いますので。 ジイからは申し上げられません。 ここに偉大なるポータルを用意されていた存在達は、多分ですが偉大です(笑)。

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​<聖地? 富良野>

ずっとずっと疑問に思ってきたこと。​

それは富良野に旅行に来たこと、富良野に住み着いてしまった理由について様々な理屈を並べてきた事を述べてきたいと思います。 初めて、知名度だけで訪れた富良野に旅行に来て、素晴らしい自然を感じながら翌日目が覚めた時の爽快感と眠りの深さ、新鮮な感じたことのない爽やかな朝を感じる自分に「なんだろう? この感覚は」そうか、、、きっとこの地は気の流れが素晴らしいんだという思いで移住してきて、そのつじつま合わせを積み重ねてきたのです。 北の国からの舞台となった事や、書道家、音楽家、舞台芸能、絵画家たちが集ったり、富良野を彩るフラワーパークの演出、十勝岳連峰や北の峰から夕張岳にいたる山並みという大自然の中に展開される人々の営みと、日本全国、或いは世界中から訪れる人々の関心度から思うに、これだけでは済まない何かが存在しているはずと問い続けてきたこの数年間。 やっと、その何かが理解できたのです。 誰も知らない、誰もわからない漠然とした魅力の根拠の意味。 それは「聖地」。 神が定めた聖なる地であると気づいたのです。 その言葉から推察していくとすべてに合点がいくのです。 それを知らされずにここまで隠されてきたこの聖地が今、明かされ、それを私は「世界を望む家」と形容させていただきました。 何故かというと私が幼少の頃から「世界を望む家」に住みたいと漠然と思い続けてきた思いとマッチングしてしまったからといえます。 ここに明かされた富良野の魅力の秘密の意味を皆様とともに体験していかれればうれしく思います。  

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​<宇宙船地球号>

私たち人間は、「宇宙とは、地球とは、自然とは、様々な法則とは」という分野では、非常に狭い認識の中で生きている生物といえます。 設定された法則、例えば「万有引力の法則」「自然界の法則」「エネルギー不滅の法則」 様々な「物理次元の法則」や、「与えよさらば与えられん」 「類は類をもって集まる」というような精神的な法則など、「人間にとって」あまりにも良くできている世界とも言えます。 では誰が何のめにこのような壮大な虚構の世界を作ったのか。 しかも、この物理次元だけではなく、目に見えない世界や、死後の世界、はたまた多重次元の並行宇宙の存在まであって、、、確かに無窮の時の流れがあって、その時間軸で見れば何十億年何百億年という宇宙の始まりの時の流れの中で人類の歴史は瞬間的な瞬きかもしれないし、人生100年といっても一瞬の点滅ともいえるし、その一瞬の人生で知りえた知識というのも極々狭く小さな認識の中、しかも限られた肉体人間の五感の認識の範囲でしか体験できていないとしたら、正に盲目状態の中で生きているとも、幻想の中で、「生きていると思っているだけ」なのかもしれません。 例えば、「時間」はあって無いようなもので「今」しかなく、「物質も肉体」も原子、原子核、素粒子という質量があったりなかったりする世界であることが知られており、そのような世界に存在している人間や生物達は、地球という一個の生命体「宇宙船地球号」の上で生の営みを続けながらマッハ670とも言われる超高速で太陽と共に宇宙を旅していて、戦闘機の600倍のスピードで宇宙空間を移動しながら普通に生活しているという不思議さ。 そして人間中心、自分中心、つまり微小認識の中での生の営みであるとしたら、宇宙から見ると、人間の認識はノミの世界観よりさらに小さいシラミのような狭い認識の世界の中ともいえます。 今、この地球号は新しい未知の領域に向かい歩みを早めています。 それは宇宙文明の夜明けを意味します。 自然を信頼し、宇宙を信頼。し、自分を信頼できるものは幸いです。

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