自然と共に
地球と共に
宇宙と共に
北海道の真ん中、大自然の聖地 富良野
から始まる新しい地球の未来
自然から学ぼう
自然に生かされ
自然から様々なことを
教えてもらいながら自然と共に生きる
未知との遭遇
ブログコーナー
<ノアの洪水と祭り>
前回のブログでは「世界を望む家」と「聖地」の意味を掲載しました。 富良野では「へそ祭り」なるものがあります。 今、7月1日から始まる京都八坂神社の祇園祭も終盤に差し掛かっていますが、そもそもノアの箱舟が陸地にたどり着いた日が7月21日でシオンの祝祭日となっています。 まあ、このように祭りとは神と人間の織りなす祝い事のような側面があるわけです。 そしてノアの一族は、他がどうであれ神の言葉を信じて箱舟を完成させた民であり、神のいうことを聞かずとも、生き残った人間たちが神の祟りを恐れて儀式を行ったのがこの祭りの本筋であるといいます。 つまり、神のいうことを聞かず、信じることができなくても、心清らかなるもの、素直で謙虚な者は残されたという事のようです。 人は本来太陽に生かされ、地球に生かされ、自然に生かされている存在である事を知らなくてはなりません。 そこに思いが至れば、その生かしてくれている元を最も大事にしなければならないはずなのに、与えられている事に気付きもせず、命さえも与えられているのにそれらに対して感謝もせず、大事にもせず、自分中心、人間中心、お金、物欲中心の大元から離れた生き方をしています。 ですから祭りといっても神をないがしろにし、神を人間の欲望を適える道具として扱い、より自分の願望を適えてくれそうな神社に行くのだとか。 神を敬い、尊び、大事に思う気持ちや、感謝の気持ちを表現するために、そして願い事もするというのが参拝や祭りの意味と思うのです。 よくある何とか祭りなどに、祭りでありながら神や自然に対する根本的な視点が抜けていて、ただのイベントになっているように思うのです。 この「聖地 富良野」をニセコ化してほしくないですし、バカ騒ぎの場にはしてほしくないと思うのです。 神や自然をないがしろにしたことでノアの大洪水が起きたことを忘れてはなりませんし、今という時期は、地球始まって以来の偉大なる大変革の時を迎えつつあるという認識を持つことが大事です。 そして、それが何を意味しているのか、何故起きるのかというその意味を理解することで初めて、「自然と共に歩む生き方」を選択する意味の重大さが理解できると思うのです。 そして、へそを祭るにしても、世界のヘソ富良野の祭りを行いましょうと思うのです。 世界人類の祭り、世界の中心の祭りを意識しましょう。 本当にそうなのですから、、、、、(笑)
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<間違えています(1)>
最近は天候がおかしいという話をよく聞きますが、それは気候の変動に関するニュースを見てもわかる通り、世界中で洪水や干ばつ、山火事、熱波など、日本でも温暖化が進行して海産物にもお米にも大きな影響が出始めてきています。 同時に世界情勢や経済にも大きな変動が訪れています。 また、アメリカ大統領選挙はトランプ氏に決定しそうな勢いですし、日本の政治も国民をないがしろにした施策を推進しています。 はたまた中国のバブル崩壊や洪水被害、台湾問題、国家主席の健康など不穏な動きが出てきています。 そして、最近は特に日本の大地震の未来予知が騒がれています。 もし、3.11規模の地震が東海、東南海に起きたら日本経済はどうなってしまうのか、中台戦争が起きれば日本も巻き込まれるとか、世界の食糧事情の悪化や物価の高騰など、このような状況に思いをめぐらせば、食糧難、飢餓、戦争、経済、医療制度、保険制度、銀行の倒産、既存の収入源の喪失など、あり得るかもと思うことが簡単に予想できてしまうほど危機的な状態があります。 それは、いつ起きてもおかしくないという今際の際にあるにもかかわらずそれを認識できていない大半の人々。 なぜ認識できないかというと、新聞TV,雑誌、インターネットニュースや話題によって飼いならされているから、疑問も持たないようにされているから、知ってもしょうがない、わかってもなにもできない、今だけ、自分だけという個人的な欲求や権利の主張や物欲中心の価値観の社会構造の中で生活しているから、様々な異常は感じても無気力、無関心が幅を利かせているので、それらの兆候を危険だと感知できないという状況と思います。 起きたら起きた時で何とかなるという甘い考えも多いかと思います。 現実となる可能性が高いと感じても行動を起こさない人が大半です。 という事は、政府やマスコミが動かないと何も始まらないという事なので、予想が現実になってはじめて気が付く方が大半と思いますが後の祭りという事になりそうです。 何故そう言えるのかというと、それが起きる事が明々白々なほど予想ができてしまっているからです。 私からすると、何故気が付かないのだろう?という不思議さです。 多分、あんなものを体内に入れてはいけないと本能的に感じなければいけないのに、80%以上の国民が入れてしまった。 取り返しのつかない過ちかもしれないのに、何が起きるかわからないのに、「自然治癒力」という自然への信頼よりも為政者やマスコミの先導や社会風潮に従ったというのと同じです。 ・・・・・・(2)に続く
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<間違えています(2)>
そもそも「自分とは何か」を知らないのだから、人とは何かも知らない。知らない誰かが政治を行っていて、訳の分からない決定や法律を作って、それが何のためかもわからないし、興味も関心もなくさせられているし、お金や、生活や、趣味、健康や自分の周りの状況だけに集中しているのだから分かりようもなく、予知能力も、察知能力も、危険回避機能も麻痺していると思うのです。 でも、それも織り込み済みで大きく動き始めているのだからそれを知る者は幸いであり、知っても行動しない者は知らないものと同じ結果になります。 何故なら信じる者は救われるという事を信じない者だから。 準備をした者、知りえた者たちは慌てふためくことなく粛々と冷静に判断行動していくことが可能になります。慌てても何もできない、どうしていいかわからないとなると本能のままに力のある者は暴徒化することになります。 例えば、山菜取りやキノコ採りに行って大型ナイフ、クマよけスプレー、爆竹などを持たずに行った者と、予想して用意して行った者とでは生死を分けることになります。 それが予想もできない、考えたこともない、まさかそんな可能性があるとは夢にも思わなかったとしたらあまりにも無防備だと思いませんか? 多くの国民がそれと同じような状況に置かれているという事に気付いてほしいのです。 前半で述べた災害は確実に起こります。 すでに自然界の動向が異常ですし、社会的にはトランプ氏が当選することで大きな政治的な大変動が起きます。 また、戦争に巻き込まれる可能性も非常に高いと思います。 何故かというと国防予算も1%から2%になってアメリカの適地攻撃弾道ミサイルを予定よりも前倒しで準備を進めているのを見ても、馬毛島の要塞化整備や南方の島々へのミサイル配備を急いだ状況を見ても状況が差し迫っているのを感じます。 予想できなければ、感じなければ、知らされなければ何も始まらないのです。 或いは、何となくいろいろなことがざわついてきていると感じても、現実味に乏しいのが現状ですし、能登半島地震や東日本大震災を体験しても、北海道では他人事で普通に生活していて明日は我が身とは中々思えないものです ・・・(3)に続く
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<間違えています(3)>
普通、そうなるかもしれないと思ったら準備をします。 しかし、その予想が日常生活や体験経験の外にあるものに関しては予想もできない、予想してもそうならないかもしれないという非現実的な尺度で見てしまいます。 ジイが知っていることを話していたとしても、ジイの妄想、たわごとにしか聞こえないのかも知れません。 だから、「信じなければいけない事を信じなく、信じてはいけないものを信じてしまう」という事が起きてしまいます。 このような予想は最近になってやっと有名な漫画家やスピリチュアル動画や、警告動画などで騒がしくなってきていますが、(それさえ気づかない者が多いのですが)実はジイが生まれる前から決まっていた事なのです。 昔々、ノアの箱舟という大洪水が起きました。 さらに昔、アトランティスやレムリアという大地が海底に沈みました。 その名残りが南太平洋の島々であり、日本列島も沈まなかった大陸の一部といえます。 人類の歴史もたかだか数千年ではなく、数万年ではなく、数百万年という歴史があるのです。 今まで、人類は六度滅びていて今は七度目の人類であるという事も事実なのです。 ジイにとっては(笑) よく言うではないですか、「ラッキー7」とか「七転び八起き」などと。 人類の原初は人間といえるのかどうかという段階から、動物的な人間になって、道具を使うようになって、そして現代文明にまで進歩向上発展したと、、。 実は、それを何度も繰り返しているのですよ。 今、地球も人類も新しい次元へと移行を始めていることを知らなくてはいけません。 今までの常識や価値観のままでは置いて行かれることになります。 本当は、指導者も教育者も政府もそのことを知らせなくてはいけないのに、その逆のことに目を向けさせて気付かないようにしています。 都合の悪い真実としてあえて隠ぺいしているのか、或いは人の上に立つ人々ですからこの洗脳された学歴社会の競争を勝ち抜き、どっぷりとその価値観に生きてきているので全く気が付かない人たちなのかもしれません。 つまり地位の高い人々、お金持ち、成功者など今の社会で認められている人々、力のある人々ほど真実とはかけ離れた価値観に生きているともいえます。自然から見た、地球から見た、宇宙から見た、高次元の生命体から見た価値観という視点や、考え方が今ほど重要な時はないと思うのです。 そのためには、これまでの価値観から離れて、支配されること、収奪されること、従わされることから離脱して「自然と共に、自然に守られて生きる」という生き方に向かうことが急務となります。 何故そう言えるのかというと、ジイはそういう時代が始まる事を知っているからです。 でなければジイはここに生まれていないという事です。 一人でも多くの人々が新しい未来に生きられますように。
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<宗教の終焉(1)>
世界の人口の半分を占めるキリストやイスラム教徒。 約37億人といわれています。特にアメリカ、ブラジル、中東、ロシア、ほかの白人国家も多いと思います。 そして、このような宗教国家がこれまでの人類の歴史の中で侵略、略奪、強奪、植民地支配をしてきており、争いが絶えず、今も世界の先進国としてやりたい放題、わがままし放題という様相を見せ、言う事を聞かなければ制裁、脅し、軍事的圧力でもって強圧的に従わせるという手法を普通に行っています。 また、私たち日本人の国民性からみると、キリスト教を国教とする国は、そのような自分中心で他はどうでもよい、自分たちさえよければそれで良いという、或いは唯物史観、個人主義が普通にまかり通っていて、他を虐げたり、犯したり殺したりするのは平気という印象がぬぐえません。 個々人としてはいろいろな人がいるとは言っても、過去の歴史を見ると侵略、支配の陣取り合戦を繰り広げてきている人たちであるし、日本以外のアジア諸国のほとんどは植民地にされ、その支配している国で、略奪、暴力、支配、殺人、レイプなど普通に行ってきたのは事実です。 日本侵略の手始めとしてバテレンを送り込んで、奴隷貿易や日本の分断工作をしてきているのは事実であり、原爆を2度も実験的に落としたのも白人国家です。 人類の半分を占める宗教が素晴らしければこのような世界にはなっていないはずです。 逆の言い方をすると、これらの素晴らしい宗教をもって指導しても人類は愚かすぎて手に負えないというのか。 何を言いたいかというと、そのような歴史の延長線上にある宗教というのは、これからの地球の波動には合わないし、存在できなくなりつつあるという認識です。 そのためかどうか、日本の神道や無宗教人口が急速に増えつつあるという現実があります。 日本の神社神道においても神を祭るのではなく、人を神に祭り上げて祭るというような意味合いが濃く残ります。 例えば、天照大神ってどのような神といっても、女神であり、太陽神という見解があったとしても、神に男も女もないのは真実であり、太陽の神は太陽に存在しているのであって人格神ではないのも事実です。 そのように見てまいりますと、今、人類が向かおうとしている先には「宗教は必要ないのでは」という思いがあります。しかし、日本の古神道は自然崇拝であり、すべてを神として崇め、拝み、感謝をささげるのが普通であり、すべてが神なのだから、自分も、相手も神なのだという認識に至ります。 そこに世界人類の向かうべき理想郷があるように思うのです。 しかし、いくら宗教がなくても、宇宙はあるし、自分はあるのですから、その本質に向かうことではじめて真実の世界が見えてくるのではないかと思うのですよ。 もちろん、無宗教といっても動物人間的な無関心さは論外の話です。
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宗教の終焉(2)
様々な宗教が存在していますが、ほとんどの場合宗教同士の争いや戦争が常にあり、信ずるがゆえに他を認めることができず、信ずるがゆえに良くも悪くもかたくなに守り、信ずるがゆえにそれ以外の世界を見たり許容することができず、それゆえに真実をも否定し、異なった考えや価値観持つものを攻撃したり、排除したり、村八分にしたりという事が普通に起きてきます。 それは当然そうなるのであり、そうなることをわかっていて分からない者たちに敢えて広めて洗脳して、脅しと恐怖と教義で縛り付けて、真実に気付かないように、眠り続けるように、争い続けるように維持しているという言い方ができます。 前頁で述べたように最高神「天照大神」が女神というのは明らかに変なのと同じで、あれを食べてはだめ、これを食べてはだめとか、愛を教えていながら神と人を分けてしまったり、生まれながらにして罪人として原罪を押しつけてしまったり、死の世界はないとか言って嘘をつき続けていたり、神を信じる自分たちが文明人であり、他は未開人とかいって他民族をバカにしたりするのは、自分を貶めているのと同じであることさえわからなくさせられている人々ともいえる宗教の世界です。 つまり、神を信じていると思わせられていて、真実の神には向かえないというジレンマに陥ります。 それらの牢獄から解放されなければ真実の世界は見えてこないように思うのです。 例えば、目の前に幽霊が現れた、頭の中に亡き父の声が響いた、食器棚から勝手に皿が飛び出して割れた、UFOが突然間の前に現れて頭の中に「またお会いしましょう」という声が聞こえた、神だと思っていたら宇宙人だった、ある国にいったら懐かしさがこみあげて、前世にここに住んでいたことがあると思い出した、とか、突然トランス状態になって外国語を話し始めた、退行催眠で過去性の記憶を話し始めたというような事はよくある話です。 それらは自分が体験しないと、中々信じることができないものですが、信じたくないものは、見ても幻覚だとか、何かの勘違いだとか、偶然だとか、何だかんだ理屈をこねて信じないものです。 ジイは無宗教者ですが、神とともにある者です。 神とともに生き、神の道を歩み、神の世界に生きる者ですが、宗教とは関係がないのです。 宗教がなくても、自分は守られているし、見えない世界から指導されているし、宇宙の存在達達に尋ねることもできます。何故なら「真実に向かうこと」に関しては迷いがないからです。 真実とはつまり「神一元の世界」。 だから神以外は何も存在していないという世界観なのです。 しかし、その根本原因である神が展開している世界は「陰と陽」が大調和した世界なので、善悪、良い悪いではなくコインの表と裏の関係であり、人はどちらの役を演じるかは自由なのです。 光に向かいましょう。 真実に向かいましょう。 本当の神に向かいましょう。
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宗教の終焉(3)
宇宙の高次元存在は「宗教はなくします」と言っています。 前頁でも言ったように、宗教があることであらゆる争いが発生します。 一方的な価値観を信ずるがゆえに、他の価値観を許せなくなるので、分離、排除、攻撃という状態が起きます。 ですから、そのような争いの元は新しい地球の未来においては不必要になるのです。 何故かというと、新しい地球の未来では宗教で教えてもらわなくても、個々人が直接高次元の存在とつながり理解が進むからです。 もし、今、宗教が無くなったとしたら、宗教組織が崩壊し始めたら宗教のタガが外れて「動物人間」に逆戻りして奪い合い、殺し合い、だましあいという世界になるのでしょうか。 何故なら、宗教の教えによって自由が縛られて文明人になっていたから、それがなくなると未開人になるのでは? 何々教に所属するから文明人で、宗教を持たない人々は野蛮人という価値観だとしたらそうなります。 そもそも罪人が宗教によって救われているのだとしたら、罪人に逆戻り、、、、ってことはないとは思うのですが、その価値観には一抹の不安が残ります。 我々、人類の歴史や価値観は、それぞれの地域、国家、民族、言葉や宗教の違いなどで分かれていて、それぞれの価値観を持つものですが、広大な宇宙から見るとのノミ、シラミの価値観でしかないのかもしれないのです。 「井の中の蛙大海を知らず」 確かに、日本の中の富良野から出たこともない人もいるかもしれません。海外に行ったことがない人もいるでしょう。 東京に行ったことがない人もいるかもしれません。 すると、望まないかぎり、知りたいと思わない限り、学んだり、勉強したり、情報を仕入れたりしないかぎり、その狭い地域の知識や価値観を当たり前としてしまいます。 それと同じで地球という狭い価値観にとらわれていて宇宙に関心を示さない限り宇宙の情報や異星人の情報、自分が宇宙から地球に来た魂であるなどというのはトンでも話しになってしまうものです。 同じく、宗教が宇宙にとってどれほど大事なのか、宇宙人にも通用する教えなのかは笑い話にもなりません。 今、様々な変化や変動(自然、政治、経済、意識)が顕著になってきているのは地球そのものが変わりつつあるという事を知るべきです。 その地球の変化とともに自分を変化させないと、地球に置いて行かれるのは自明の理ということを理解することが今最も重要なことであると思うのです。 もちろん、地球が変わりつつあるという事を知りたくない者たちには論外な話となりますが、、、、。 日本の古神道の世界の神髄は「すべてが神の表れ、神の創造、神自身の生命の営み、神の表現、神の導きであり、いざない、神への気付き、生かしあい、与え合い、供給しあい」つまり愛そのものであると、、、、。
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今、起きている事(1)
ことしの1月1日に起きた能登半島の大地震や震度、5,6にもなる地震の頻度の増加。 或いは気温の上昇など、様々な異常といえる変動が立て続けにその大きさ、頻度を高めながら慌ただしさを増してきています。 人類の政治や化学で止められるはずもなくただただ起きることに身を任すことしかできないのが現状です。 これら自然の猛威や人工的なウイルスの流行に相まって、人間が起こしている飢餓、戦争、経済の破綻、インフラの老朽化、貧困、病気などが重なり如何ともしがたいやるせない思いの日常の中で、これまでの生活の基盤を守るために沈みゆく泥船であることを感じながらも、精神と肉体を疲弊させながらこぎ続ける今の有様。 これらの現象を見ても、これまでの価値観で見たり感じたりしている以上は、そのまま巻き込まれて沈んでいくとは思いもよらない何気に不安の中にあるという人々であります。 今の人類の基本的な生活認識は、人間動物にはじまり、本能によって生きながらえ、弱肉強食の論理で勝ち残り、脳の性能によって優勝劣敗に向かい、自分を中心とした地位、名誉、金、物欲、快楽、安心を求めた競争を常識的な価値観として生活しています。 そこで負ければ負けるほど低賃金で奴隷のように働いて希望も光も見えない乞食や生活保護に甘んじるか、自殺するか、病気や争いごとや戦争に駆り出されたりして道具として捨てられるというような悲惨な世界に見えてしまいます。 多かれ少なかれ、そのような構造の人類の姿です。 また、そのような状況に置かれているというのさえ気づかない、考えられない子羊の群れ。 それは子供のころからそのような正しさの基準、価値観の基準を詰め込まれて大人になって行くのだから無理もない話なのです。 でも、やっとこれらの支配の構図が崩れ始めて、それらの欺瞞や嘘、まやかし、幻想を説くものが現れてきています。 しかし、ここまで洗脳が進んでしまった人類の目覚めは遠く、逆に、自分たちのこれまでの価値観が脅かされる恐怖が先に立って聞きたくない、見たくない、知りたくないという防壁を高くして閉ざしてしまう者も多くいるのが現状です。 でも、その防壁が否応なく壊され始めているのが今という時なのです。 それは自然の猛威や、人口的な災害によって、これまでの人類の生活基盤の崩壊が始まっているからです。 そうしないと、気が付かない、目が覚めない、間違いに気づかない、現実と思っていたものが虚構であるとか、価値があると思っていたものが逆に無価値以下であると気が付かないからです。 そうなってからはじめて人類はこれまでの過ちに気付くことになるのですが、これまでの価値観で人の上に立ってきた者たちほど、良い思いをしてきた者たちほど大きな罪を背負うことになります。 何故なら、宇宙の価値基準と人間界の価値基準が逆だからです。 以降は次項にゆずるとして、まずはいち早く泥船から降りる手立てに向かいましょう。 次ページ そのためには、、、、
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今、起きている事(2)
最近は、マスコミでも起こるかもしれない大地震特集が組まれて煽っているので、おぼろげな不安が一気に現実味をもった不安へと変わってきているようです。 スーパーから災害用品や、買いだめされる物が品薄になったり慌ただしい動きが見られます。 もちろん準備や備えは非常に大事と思います。 何故なら、食料自給率が38%(実際には10%?)の日本には一旦なくなればない状態がずっと続きますし、自給率を上げるにも天候不順やインフラの崩壊や、肥料なし、種子なし状態では生産力は回復しないと考えられます。 そのような危機管理能力が今の政府には欠けているので期待する方が無理というものです。 水道は、電機は、ガスはずっと大丈夫なのか、石油は? そこから派生する飢餓や伝染病や暴動などは普通に予想されることです。 ですから、ちょっとした買いだめや応急的な、一時的な対策という甘い考えは捨てたほうが良いと思うのです。 どう見ても、地球そのものの変動や政治、経済の目先だけ、既存体制の維持しか見ていない感じや、戦争の拡散、大災害の予測など、このままこれまでの人類の営みが続くなどとはとても思える状態にはありません。 ですから、行き当たりばったり程度の対策では、対策にはならないのではと思うのです。 もっと、本質的な、根本的な、抜本的な原因と結果と予測をもって対処しなければならないほどの未体験ゾーンに入り始めている事には気付かないものがほとんどと思います。 東日本大震災にしても、今回の地震にしても、能登の地震にしても、被害を受けていない地域においてはまさに他人事、「まさか自分たちの身に降りかかるとは」と思うのが世の常ではありますが、これから、そのまさかが頻発することになって、国も、政治も経済も、宗教も、お金も、地位も、立場も、病院も、警察も自衛隊も、何も、誰も助けてくれないし役に立たないという事がわかり始めますが、分かった時には遅いのですよ。 途端に弱肉強食の分捕り合戦が始まって弱者は生きられなくなるのがオチです。 では、これから起こりくるあらゆる災難から自分を守るための最善の対策とは「自分を知ることである」という意外な答えとなります。 人類がそれを忘れて、投げ捨てて、粗末にして、自然が望みもしない害悪ばかり垂れ流すからこうなったのだから、その原因の結果を人類は受け入れざるを得ないという事です。 現実問題として、ほとんどの人間は日常の生活に、目先の利益にあくせくしていて、自分中心の価値観(人間動物)の中で生きているのですから、地球のため、人類のため、ご先祖様のため、神のため、自然のためにとは考えない。 社会のためと考えても、根本が間違っているから破滅に向かう所業に加担することになります。 では、次項でその対策の本質に向かいましょう。
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今、起きている事(3)
そもそもですが、人間動物という価値観は肉体の本能や特性、感性や肉体の特徴などを主体とした価値観であり、その体を指して自分というのですから、それは弱肉強食、生存本能を主体とした価値観となり、五感というセンサーでえた波動を脳が感知して、その情報をこれまでの人生経験や教育や洗脳、刷り込みに照らし合わせて判断しながら、如何に他よりも優位に、他よりも豊かに、他よりも安全にという判断や決断、選択をしていく行動様式や思考パターンとなります。 しかし、「本当の自分に気付く」とは、肉体と自分は別。 自分はスピリットであり、魂であり、霊であるという認識に立ち、肉体はその魂である自分が、この地球上で何らかの目的をもって、その何かを体験するために必要な宇宙服みたいなものというのが本質です。 その証拠に死んで肉体が無くても「あれ?自分は死んだのでは?」という事に気付いたり、死んだはずの人と会話したりという事が起きます。 としたら、肉体人間(動物)を大事にして本当の自分はないがしろに粗末にしていることになります。 若い美しい女性に対するあこがれや執着が、時間が大きく短縮されて、突然、その女性が醜い老婆に変わったら途端にあこがれも執着もなくなってその女性から離れたくなるのでしょうか。 おおよそ、そのような価値観は年齢と共に、環境や、状況によって大きく価値観が異なってくるもので、いつまでも変わらないということではないようです。 例えば、恋愛中の男女の心境は「夢物語」恋の病気という幻想の中にいて、それを真実であり、現実と思い込み。見る世界、感じる世界がロマンスの世界になるようです。 その病にかかっていない人から見るとなんの変哲もない普段の日常にしか見えないはずです。 であれば、それぞれの人々の置かれた状況や育った環境、何を学び、何を真実として行け入れてきたか、どのような判断をしてきたかによって見ている世界が違うという事ですし、正邪の判断も、良悪の判断も全部違うという事になります。 そのようなどうにでも変化してしまう価値観や判断基準をベースに「対策」を考えても、そもそも守るべき対象そのものが違っているという事になります。 であれば、正しい対策や対処はできずに、何をやったとしてもあらゆる災害の流れに飲み込まれていくことになります。 何故なら、対策にもなっていないのに対策をしていると思うのですから、、、。 悲しいことですし、残念なことではありますが人類は、中々、そこには気付かないように洗脳されてきており、洗脳され続けているともいえるのです。 例えば、インターネットをやらない老齢の人々の価値観は新聞、テレビ、偉い人、有名な人、芸能人、人気のある人の言う事、信頼する人の言う事が基準となるので、真実から遠ざかります。 何故なら、そういう人たちこそ虚構の世界で力のある者たちであるからです。 しかし、今もとめられているのは「虚構ではなく真実」 なのです。 その真実の自分を知れば、自ずと見方、考え方、見るもの聞くもの、興味の対象が変わってきます。 その先に初めて真実の対策が見え始めてくるのです。 肉体を守ろうとしてもわからないものから、わからない者をまもるのですから雲をつかむような話です。 しかし、真実に根差すと「魂である自分を守り、自分の乗り物である肉体を守る」となります。 すると、この災害を起こしている原因とつながりますから、何が起きるのか、どのように起きるのか、こうなったっらどうなるのか、それらをソウルメイトや高次元の存在に聞くことが可能となり、そして守られることになります。 何故なら、高次元の存在は「気付いた者」「気付く者」に語り掛けるからです。 望まない者を助けたりはできないのです。 それが究極の対策であり答えとなります。
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浄化とは、、、、
宇宙文明の夜明けを迎えるという意味は、この地球やそこにおけるすべての事物が高次元の波動に移行することを意味します。 高次元とは、たとえ話では人間が設定した猿の公園でサルの群れ同志の争いやボス猿の座をねらう闘争が見られますが、それは猿の世界の現象であり、人間の価値観とは違うので如何ともしがたい世界です。 その猿たちに喧嘩しないように、争わないように諭すことも、より高次元の争わない世界へと導くこともできません。 もし、その猿たちが高次元の存在に移行するとしたら争わない傾向の強い猿の集団くらい迄にしか進化できない事を意味します。 同じように人間とこの地球が高次元の星へと移行するとしたらどれほどの人間が残れるのでしょうか。 例えば、争わない、威張らない、他と比較しない、みんなで分け合う、助け合う、協力し合う、自然を破壊しない、人の上に立とうとしない、自分は後回しで他のために貢献する、人の痛みを共有してともに良くなる、社会のために、国のために、人類のために、地球のために、他の生物のために働くことを喜びとする。 森羅万象すべてに感謝をもって接する、人の嫌がることをしない、自分の価値観を押し付けない、お金のため、地位のため、自分の優位性のためをすべて排除する、偉ぶらない、常により高き霊性に向かって学ぶ姿勢、他星の生命体との交流と理解を深める、優しさ、思いやり、気遣い、親切さ、宇宙の法則、自然界の法則、神の法則を遵守し、他の生き物を大事にする、神やご先祖様や、霊人を敬う、人間社会の取り決めや調和を乱さない、他を卑下しない、他を圧迫したり、侵略したり、略奪したり、いじめたりしない。 このような素地を持った人間しか新しい次元に移行できないとしたらこの地球にどれほどの人類が残れるのでしょうか? そもそも、自分を知ろうとしない者、人間を生んだ存在に無関心で興味が無かったり、その意向を汲まない者、新しい次元の価値観に住みたくない者、嫌う者、これまでの地球の物理次元の快適さに執着する者は次元上昇には至らないので三次元の世界にとどまる事になり、他のそれなりの段階の星に移星することになります。 これまでの地球の気候変動や政治の混乱、地震災害や放射能災害、飢餓などの兆候を見ても収まるどころかまだ序の口、益々その変化の度合いを高めながらカタストロフィーに向かって突き進んでいるように見えます。 近未来において起こりえる予測をすると、当然、気候変動による食糧不足、大地震や災害によるこの文明の崩壊、隕石落下による数百メートルの津波、原子力発電所の暴走、次元の変化による波動の調整のできない物理次元信奉者の肉体や精神のトラブル、中台戦争や他地域の紛争、大陸の沈降や隆起、火山活動の活発化が予想されます。 どう考えても、現次元の人類のままでは生き残れそうにありません。 例えばUFOや宇宙銀河連合の宇宙艦隊や高次元の霊的存在達や宇宙意識の霊人達の住む世界というのは我等の地球次元とは異なる世界と思います。金星は岩だらけで生命は存在しないかできないかと思いますが、それは我等の三次元の価値観や物の味方で見ているからそう見え、思うのであり、高次元の価値観で見ると美しく、清らかで、光に満ち、愛に満ちた高度な文明社会が見えるのかもしれないのです。 同じく、地球と人類がアセンションを果たすというのは、これまでの地球がすべて浄化されつくすまで長い眠りにつくのであり、新しい次元の地球が現れるのを見た者が残された者たちという状態になります。 ですから、これまでの地球には人類は残れないか残ったとしても深い洞窟の中で生存し得たわずかな者、それも過酷な自然環境の中で生き残るのは難しくなるのではと思います。 そのように考察すると、人間が様々な自然災害から身を守るための食糧の保存や、移住などの手立てや貯蓄は意味をなさなくなるのではと思うのです。 もし、本気で守るのであれば自分や守るべき人を次元上昇に向かわせる事しかなくなります。 しかし、それには目覚め、覚醒、導き、気付きの機会が必要であり、そこからさらに進化するための方策やサポートが必要になります。 或いは、これまでの社会の価値観や、これまで頼ってきた安全装置と思われてきた政治経済、社会的インフラ、警察、軍隊、産業、給与というようなものが全く役に立たない事に気付き、それらに頼らなくても生きることが可能であり、生かされていることを悟り、自然と共に、自然に感謝してすべてに感謝をして、できるだけ現代社会の価値観や利便さから遠ざかる事が大事ではないかと感じるのです。 それが身近に迫った試練の時を心にゆとりをもって生き延び、これまでの人類の在り方を反省しながら、困難の中にありながらもワクワクとした希望に満ちた新しい世界への旅立ちの始まりを迎えるのではないかと思うのです。 先に述べたこの世の価値観の中で普通に生きている人々が目ざめるきっかけというのは、大災害やお金の意味がなくなるほどの社会変化、UFOが現実的に関与してきてTVマスコミなどでも大々的に宇宙生命体の存在が明らかになるというような現象や、これまでの考え方では生きていけないというような変化に見舞われることで否応なく訪れてきます。 その時になって右往左往して動物人間の生存本能によって人の道から外れていくものと、その反対に助け合って協力し合って生きていこうとするものに分かれていき、それが神の秤に計られ選別され縦分けされてその魂の行先が決まっていくことになります。
そのように考えると、70億人の人類は1億人くらいになるのではと思います。 日本人は400万が残されそうです。 100年もたてば70億人は死んでいるのですから、肉体の死という意味では動物ですから生まれてきて死ぬものなのです。
それでも70人に一人残ったとしても、その一人の集まりが100人1000人となれば当然様々な軋轢や問題が以前ほどではないにしても発生しますから、正しさの基準や価値観の方向性が大事になってきます。 また、地球的には太陽や他の星々につながり、天の川銀河の中心、他の銀河の中心存在とつながり、或いは銀河連合などへの加盟や、宇宙創造の神々との交信などが重要になってくると思われます。 そもそも、地球の歴史や太陽の歴史は浅く、限りない無窮の時間軸の中で銀河間戦争があり、銀河の中でも様々な星の異次元生命体同士の戦いがありという途方もない世界に思えるのです。そういう意味では未熟で幼い地球生命体が人間と言えるかもしれません。
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聖地の意味するところ
富良野にはヘソ祭りというのがありますが、豊かな大自然に囲まれたこの地のすばらしさは山の幸、川の幸、湖の幸、春夏秋冬の幸に恵まれ、少し離れれば太平洋、日本海、オホーツク海という海に囲まれ自然の要塞の真ん中にあるのが富良野です。 ここが日本の中心、世界の中心、地球の中心ですから地球の聖なるヘソという事になります。 しかし、この聖地の人々はまさか「聖地?」何それ?みたいな感覚でへそ祭りの本質を知らずに、醜い不健康なお腹とへそを出して大騒ぎをしているだけに見えます。 日本の政治も経済も文明も人類の成れの果てのあだ花のような様相を見せ始めてきていますが、上が腐ると下も腐ります。 政治家たちのたるみ切った顔、欲得にまみれた我利我利亡者たちとそれに従う者達を見てもこの「神国日本」を意識して「世界の親国」を意識して日本を変えて行こうというものが居ません。 当然、マスコミも企業も教育も医療もなにもかもそれに従いますから腐っていくことになります。 全てが腐敗しているので、腐敗の中に腐敗していてそれに気が付かないのは当然と思うのです。 常識とは、マスコミの垂れ流す常識、指導者たちの思考や行いの常識、社会を構成する人々の習慣や風習や価値観や常識が正しいという事はないのですよ。 何を基準として正しいのか、その正しさの基準は宇宙から見て、自然から見て、地球の意思から見て、神から見てという観点が欠けています。 つまり、すべての誤りの元がそこにあります。 何故なら、すべてを生んだのが自然、地球、宇宙、神だからです。 そこから離れた正義はなく、正しさはなく、素晴らしいものはないのを知らなくてはいけません。 大自然の美しさを汚し、壊しているのが人間ではないですか。 それらの人類の英知をはるかに超えた存在達が定めた「聖地」を知る由もないほとんどの人々。 たわいのない、どうでも良い大騒ぎも結構ですが、それどころではない変化や変動によっていずれその意味を知ることとなってきます。 富良野が聖地となっては困る人々がほとんどとかもしれません。 何故かというと「聖地」の意味するところが重大であり甚大な意識の変換が訪れるからです。 考えてみますと、地球の中心、人類の中心、世界の中心が「聖地」の意味となりますから大変な地域に住んでいることになります。 「知らぬが仏」という言葉がありますがその通りです。 知る事によって今までの思い、考え、想念、行動、言葉の全ての神への冒涜に気付くことになります。 ですからこのブログにたどり着いた者しか知ることのできない「真実」ということになります。 何故「聖地」なのか、そもそもキリスト教やイスラム教の聖地というのは彼らにとっての聖地であり、ジィがいう聖地とは地球の聖地であり、人類全体の聖地を意味します。 間もなくあらゆる宗教が意味をなさなくなる日が訪れますが、そうすると今までの聖地も聖地の意味も失われることになってきます。 すると人類にとって最も大事な場所が新しい聖地となってきます。
その秘密が富良野という場所に存在しているとしたらワクワクしませんか? あまりにも奇想天外な説なので誰も信じられないと思いますが、であるからこそ守られてきたのであり、今まで隠されてきたように、知る事が許されたものしか知れないまま今に至ったという事なのです。 そして、新しい地球の未来に渡ることが許された者たちによってその秘密が明かされるのだと理解しています。
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<日本人>
世界最古の歴史のある国家は日本であるというのは世界の常識とも言えます。 そして、世界一豊かな大自然、世界唯一の言語体系、単一言語や単一民族で構成されている日本、世界唯一の天皇制国家、世界唯一の植民地にされたことのない国、原爆を体験したのも、歌舞伎、空手、剣道、茶道、神道など技術的にも先進国といわれる高度な発展を続けている亜細亜の小国日本、江戸時代の江戸は世界最大の都市であったし、種子島に鉄砲が伝来してから数十年のうちに世界最大の武器生産国となり、薩摩、長州という一つの藩だけでイギリスやオランダに戦いを挑んで負けないほどの戦闘力を持ち、二度にわたる元寇の役のモンゴル・高麗連合軍にも苦戦はしたものの蹴散らして敵に大被害をもたらしたり、ロシアに勝ったり、世界最強の戦艦大和やゼロ式戦闘機をもって世界と戦い、負けはしましたが、その戦闘力や知恵は、東の果ての辺境の小さな未開の島国の日本のどこにそのルーツがあるのでしょうか。 他国を見れば、限りなく滅ぼしたり、滅ぼされたり、山のてっぺんまで逃げて生き延びたり、混ざりあって民族の純粋性が失われて痕跡だけは見られるという事になります。 また、闘争の歴史であるがゆえに歴史の遺産が破壊されてしまったり、他民族、他言語に置き換わってしまうというのも普通のことだと思います。 そういう世界の歴史の中で、古代から引き継がれて来た神話の世界を色濃く継承してきた珍しい国とも言えます。 また、「奪う、犯す、侵略する、戦う、盗む、殺す、だます、取る」というのが普通に行われてきたのが世界の強国の歴史であり常識と思うのですが、その習性を色濃く残しているのが、いつも戦争している国、他国を貶める教育で国民を洗脳している国、先進国といわれる国々や独裁者を戴く国であります。 そういう国家や民族と大きく異なる文明文化、民族性、歴史、言葉をもった日本のそのルーツは、ムー、レムリア、アトランティス、縄文から世界に拡散した日本人の先祖が、長い年月を他国、民族の文明に寄与して、再びこの地で合流して日本という国を形作ってきたとも言えます。 それは世界の古代文明に残る日本の痕跡と宇宙からの掲示からつじつまが合います。 つまり世界中で戦って日本で合流したのですから強くて当たり前ともいえるのです。 ですから、他民族国家というより神からの遺伝子を最も色濃く残している民族という言い方のほうが正しいと思います。 その日本がこれからの世界に貢献する役割は、日本特有の「和をもって尊しとなす」「親切、思いやり、優しさ」「自然との調和」を中心とした国家観と、世界の親国として宇宙とつながりながら新しい人類の模範を示していくことであると理解しています。 そして、そのお膳立ても用意されているように思うのです。 その根拠はというと、日本語の特異性、日本人の自然観、世界最古の国家であり、ムーやレムリアの末裔であり、アトランティスなどからの魂の転生、YAP遺伝子の存在、そして何よりも重要なのは宗教とは関係のない「聖地」高次元世界へのポータルの存在があります。 他にも「聖剣」の存在や世界地図のひな形の地形図日本列島などの隠された存在があるのも日本なのです。 また、日本語に秘められた偉大なる「言霊の発動」という御神事などにも親国としての隠された根拠があるように思います。 或いは、「ひふみ神示」という書籍を読んだだけでもわかる者にはわかるし、分からない者はそれまでの事という内容の書籍の存在。 日本の、世界の、人類の、地球の未来に関してここまで深く明確に記されている書物は他にはないのですよ。 その内容が現実として展開し始めているのが今という時と思える人は幸いです。しかし、このような重大なる神の啓示痕跡も動物人間として肉体で感知できる世界だけを真実現実として見ている以上気が付きようもなく、知っても信じられない世界と映るので何も始まらないのが現実です。 成長とは眼に見えない世界である魂や精神や心の分野を意味するのですがそこをないがしろにすることは成長を拒否するのと同じことになります。 今、日本人であることの深い意味を知ることは非常に重要なをもっています。
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日天意神示の世界(1)
<日天意神示>ひあいと読みます 第1集 第2集とあります
この書物も高次元の存在から日の元 日本に降ろされた神示です。 その内容を抜粋したものを紹介します。
内容
「時の流れはゆるやかに大河の水の如しとたとえ来たこれまでの計りであれど、今はそのように悠長にも云うておれぬようになったなぁ。 水かさ減ったわけででなく、上(カミ)より流れ来る水の量一挙に増えたるが為、流れは勢いを増しうっかりしていると足元すくわれて流れに飲み込まれ、自分の意に物事運べる術を失い為す術ないまま大海へ押しやられてしまうことにもあいならん。時の速さはこれまでの十倍、勢いもついておるゆえ、押し流される力も相当なものとなってある。今までの伝え、伊達や酔狂で神つぶやいてきた事ではない事嫌でも分かるとき刻となりてきたなぁ。」
「病を患う者あり、災いに苛まれるものもまた多くあり、法を軽んじ秩序を錯乱するものもあり。 この年月の運びは日の本においても時と共に堕落の坂道を転げ落ちるかのように乱れ、公僕私事の違いなく我良し曲者の為す業目に余る実情あろうがな。 九十の戸開けて現幽の隔て外せば否応なく目の当たりとなることなれど、その事現実界での表れが今まさにこの時の荒振り、まだまだこの荒振りは節操なく高じてまいるぞよ。 これより未知への宇宙へ飛び立つがごとく未曾有の体験となる世の造り固めへと突入いたす。 何恐れるに能わず、ここまでに通し来た素直さ持って、嬉しき驚きの連続ともならん醍醐味を味わうがよい。」
この神の計画を知るものにとっては、救われるとはいえ恐ろしい自然の浄化の嵐にすべてが飲み込まれる様を見ることになります。 救われない者は訳が分からないままこの災厄とも見える荒振りに巻き込まれてこの世を去ることになります。 嬉しき驚きの連続とは、この世の浄化の後に現れる新しい神の世が近づいているのだから喜びであろう。 という神の世界から見た人類の姿を垣間見せています。 そもそも、太陽を作り、地球を作り、月を配置し、人類を造り、人類を見守って今に至るすべてを導いてきた神の目から見ると、人類のパンデミックも、戦争も、自然災害も、太陽の変動も、地球の気候の変動も、或いは地震や隕石の落下もすべて高次元の存在の意思によってコントロールされてきたとも言えるのだと思います。 新しい宇宙文明の始まりを皆様と共に迎えたいものですね。 残された地球時間において、この三次元世界の地球の偉大さ、凄さ、素晴らしさ、そして人間に与えられた叡智や創造力の素晴らしさや自然の営み循環、人類に与えられた言葉の偉大さなど知れば知るほど、この三次元の地球の凄さ、素晴らしさ、偉大さ、仕組み、自由無碍なる創造の仕組み、時空と重力やすべてを生かす愛の波動の中で生きる感動や喜びを神への感謝、地球への感謝、自然への感謝、すべてに神の偉大さを見出し、すべての中に神を見る嬉しさ尊さ有難さを皆様と共有したいと思います。 いつもと同じありふれた日常で感動や感謝のない生活にどっぷり漬かっていては見えてこない世界です。
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生存(1)
今年から来年にかけて様々なる現象世界の大きな出来事が始まります。 すでにコロナの蔓延、ウクライナの戦争、世界中の大きな嵐や、大地震の頻発、気候の変動などが顕著になってきています。 それでも多くの人類は我が身の危機に至らなければ他人事であるのは、ウクライナ国内の破壊状況や人々の国外避難を見ても国内やモスクワに被害が及ばないので無関心、自分たちの国がどれほどひどい殺戮を行っているかなどには関心がない有様なのを見てもわかります。 国内に被害が出始めるや否や大騒ぎとなってきます。 しかし、その時には既に取り返しがつかない状況で世界中を相手に戦わなくてはならない状況に追い込まれています。 核をつかって滅びるか、国が無くなるか、戦後賠償の負担と国家分裂に苦しむかという選択になります。 無関心であること、他人事である怖さがわかろうというもの。 今、世界中で起き始めている変動を身近に感じる者が増えているとは言えその原因にまでさかのぼって思いをはせる者のいかに少ないことか。 現代医学で早期がんを発見して除去するがごとくに、切った貼ったという正しさの認識ではわかるはずもない原因の世界。 それらの原因を知る者とは、自分を知り、自然界の仕組みや地球の未来に思いをはせ、その根本原因に回帰しようと、そのために我欲執着我良し自分中心の価値観を廃し、「真我」に向かおうと努力する者であり、その努力の結果としてどこまで知ることが許されるのかが決まる世界に生きる者達にとっては、今という時がどれほど重要な時であるか身に染みて感じるのです。 地震の恐怖から買いだめに走り日本中からコメが無くなる騒動も落ち着きを見せ始めていますが結果としてコメ価格の高騰が尾をひきます。 しかし、えっ!いままで全く準備してなかったの?それって正に他人事だったのを如実に表しています。 また、これから起きる地球規模の大変動の嵐というのは、そんな備蓄程度の準備で逃れられるほど甘くはないとは思いもよらないのだと感じます。 そして、その先を予想することのできる者でも、「すべての人類がこの地球を卒業しなければならない」とまでは思えないように思うのです。 何故なら、地球規模の大地震が起きれば、世界中の海岸近くの原子力発電所が津波に飲まれるのは推測できます。 それだけでも人類は生き残れるのでしょうか? 福島原発よりもさらに巨大でひどい核の暴走が起きるのは予想できます。 私には、これまで神の意向を無視し、自然を粗末にし、地球を汚し、人間同士の争いや他の生物への虐待など様々な暴虐を尽くしてきた人類の文明を残したまま進化するとか、人類を支配してきた弱肉強食や優勝劣敗という我良しの人間を残したまま進化できるとは到底思えないのです。それを前提に今起きている様々な現象から何が起きようとしているのかを見ることで事の重大さがわかってきます。 備蓄も一時しのぎにはなるかもしれませんが未来に向けて生き延びることにはなりません。新しい地球の未来に於いて、最初に重要なことは生き延びられるかどうかですが、次に大事なのは何故それらが起きたのか、何故これほどの破壊と犠牲によって人々が居なくなってしまったのか、地球は何故多くの命と文明を滅ぼしてしまったのかを深くさらに深く理解し反省しなければなりません。 そして神に、宇宙に、自然に、地球にお詫びし、懺悔しなければなりません。それができてからでないと新しい地球の営みが始まらないのです。 何故なら新しい地球に残す資格も意味もないからです。 それを踏まえて今という時、何が最も大事かという事が見えてきます。 つまり、これまでの生き方、考え方、価値観から離脱して、太陽、月、地球、宇宙、自然、神の意向に合致した生き方を選択する事です。 そうでないと、神によって作られた人間が神を知らず、神をないがしろにし、神の意向に沿わないとしたら、神に敵対する勢力として残すことのできない者になってしまうのです。 そのように考えると自ずと救われる者とは、新しい地球に渡れるもの、残される者とは、或いは新しい世界に向かう浄化の嵐から生存するには、という答えが出てくると思います。
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生存(2)
人類の未曾有の災難という経験がないのでわかりませんが、何が起きようとしているのかの予測はできます。 遥か昔にアトランティスやレムリアの大陸が沈んでしまったというおぼろげな記憶から推測するなら、隕石の落下、大地震、地軸のポールシフト、気候の大変動、火山の噴火や大水害、気温の上昇と極端な寒冷化(巨大噴火や隕石の落下による太陽の光量の激減)や飢餓、そして社会インフラの崩壊や戦争などありとあらゆる浄化の嵐が吹き荒れる地球となった場合、ほとんど生残れる者はいないと思われるのです。 恐怖を煽るのではなく、それを知ったところで助かる道はないとしたらという想定の上に人類の未来を意識するのが正しい理解と思うのです。 ここですべてが死に絶えて先の人類の未来を語るのも変な話ですが、多くの未来予知や高次元とのコンタクトの中で素晴らしい未来が訪れるといわれていて、そのための心の準備やどうあるべきかという事が流布されています。 つまり、何故それが起きるのかという原因を正しく深く理解して、潔くその大災害に身を置く覚悟と大いなる人類の反省と体験する未曾有の大災害の現実をしっかりと体験する必要があるのです。そして、この地球をすべてのものが卒業していくこととなります。 気が付いた時、そこは光に満ち、穏やかな温暖な気候で希望の持てる世界となっていて人をあまり見かけない地域となっていると思います。そこは死後の天国ではなく自分が生きていた場所なのです。 多くの家族や友人や仲間はどこに行ってしまったのでしょうか? そこで思い出すのはひどい嵐や地震や火山の噴火やインフラの崩壊や無秩序で誰も何も頼ることができない大災害の中で意識を失ってしまった自分を思い出すことになります。 そして気を失う前にこのような世界が訪れることを知る者はその現象を理解します。 そうでない者達は何が起きたのかわからないまま、その世界を受けいれて順応していきます。 しかし、悲惨な体験は残るので、それがなぜ起きたのかという理解と自分はこの新しい地球に生きることを赦された一人であることを知ることになります。 そのようにして新しい地球の未来が始まることになりますが、それ以前に空一面に現れた宇宙船の存在が徐々にコンタクトを取り始め、新しい人類に対して様々な文明のアプローチが始まります。 この新しい地球に残された者達というのは我欲、執着、自己顕示欲、地位、名誉、金銭欲、人との比較や競争などとは縁のない人々です。 そのような者達しかいない地球にならないとまた同じ繰り返しとなってしまいます。 それがこれから起きてくる未来の真実の姿です。 とすれば、生き残りたいとか自分だけ助かろうという努力は無駄であることがわかると思います。 これは、遥か昔からの神の計画なのであり、そこに向かって人類が誘導されてきており、それが今、成就しようとしているという意味です。だから、運命は神にゆだねるとして、今大事なことは、禊、祓い、浄化、反省、一切の欲望を薄め、自分中心を改め、そして嬉しく楽しく、有難く、すべてに感謝をする生き方、自然と共に、地球と共に、宇宙と共に、そして神の中で生命している自分を意識しながら生きる事です。
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生存(3)
その時、世界中の人々の数は数千万人か1億人に満たない人類鹿残ってはいないかもしれません。 何故なら、新しい地球に残されるものの基準を述べたように我良し、自分中心、自己中、個人主義や宗教概念に固執する者達は渡ることが難しい世界なのです。 このような未曾有の災害が起きた時、そのような人々は弱肉強食の奪い合い殺し合いの世界を演出することが予想されます。 中国の大洪水の後の支援物資に我先に突進して阿鼻叫喚状態となるのは目に見えています。 そういう者達にならないように必要な準備は進めておく必要があるし、気付かされた者達は少なからず協力し合い助け合うものです。 それは導きや誘い気付きが用意されているとも言えます。 そして真っ先に洗礼を受けた日の本の残された人々は、穏やかに、平和に、親切で、優しく、思いやりや協力しあい助け合う少数社会単位の連携をもって新しい未来に向かい始めています。 それが世界の模範や基準となって地球全体に広がって新しい地球文明、宇宙文明の夜明けへと広がっていきます。 そこに宇宙の同胞たち、未来の地球の人々(遥か昔に新しい次元に移行した者達の事ですが)からの支援や新しいテクノロジーによる文明が花開いていくことになり、当然ながら宇宙人達との交流や、宇宙旅行や、無限エネルギーなど驚嘆すべき素晴らしい出来事を体験していくことになります。 想像を絶する???が山ほど出てきて、それらは一切、自然を壊さず汚さず犯さないテクノロジーや精神性の創造の働きなど夢と希望と光に満ちた世界へと発展していきます。 例えば、光を超えた時空間移動技術や引力重力を超越したテクノロジーや高次元存在によるテレパシーや透視やアカシックレコードへのアクセスや、宇宙の仕組み、自然界の仕組み、神の存在への理解など様々な驚きの気付きが始まる世界の住人達という事になって行きます。 そして、これらの新しい世界新しい地球には新しい役割や使命があり、天の川銀河における太陽系の星々の役割を果たしていくことになります、未来的には他の星々の生命体への指導や関与なども始まります。 また、何といっても新しい人類の精神性や波動が5次元以上となっているので、歳をとるとか死に向かう恐怖や恐れが無くなるとともに、時空の概念が変わるために若返り、より美しく、高貴で優雅な身体へと変わると思います。 とは言っても三次元世界の影響も色濃く残っていますから、これまでのような争いごとや損得勘定のもつれや価値観が無くなるわけではないので、徐々にそのような価値観の変換がなされていくと思われます。 どうでしょうか、そのよう新しい未来に向かう切符を手に入れてみませんか。 そのためには「自分とは何であるか」という真実に向かう努力を怠ってはならないし向き合わなくてはならない重要な課題であるという事をお伝えしたいと思います。